アジア・アフリカ会議と中国のグローバル戦略

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アジア・アフリカ(AA)首脳会議が50年ぶりに開かれたが、これは中国の新国際政治経済秩序構築を目指すという長期グローバル戦略の展開に、非常によいチャンスと活動の場を与えるものであった。50年前と今回とを比較しながら、AA会議の中国にとっての意義を考えてみたい。それ故、50年前の第一回会議、今回の第二回会議、中国の対応、近期戦略目標、長期戦略目標、日中関係への影響の順序で論を進めていく。

一 第一回AA会議の背景と内容
 第一回AA会議の開催は、インドネシアのスカルノ大統領とインドのネール首相の共同プレイによるものであったが、開催に至るプロセスにおいてはインドネシアとインドの二つの線があった。
 1953年8月、インドネシアのサストロアミゾヤ総理がAA会議開催の構想を打ち出した。1954年4月、ビルマ(現ミャンマー)、インド、インドネシア、セイロン(現スリランカ)、パキスタンなど南アジア五カ国の総理がコロンボで会議を開いた際、インドネシアの提起したAA会議開催の意向が前向きに評価された。そして1954年12月、南アジア五カ国首脳会議がインドネシアの茂物で開かれたさい、正式に決まった。
 他方、1953年12月31日、周恩来総理がインドの訪中団と会見した際、平和共存五原則を提起した。「新中国が成立してから中印両国関係を処理する原則を確立した。それは即ち領土主権の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の原則である」と述べたのである。
 1954年6月、ネール首相がニューデリーを訪問した周恩来首相と話し合った結果、地球上の国が守るべき国交の平和五原則の声明書を発表した。この年はインドにおいて、反帝国主義の情熱と社会主義の風潮が高まった年であった。そして次の年55年には、国内の反帝国主義、反植民地感情の一層の高まりを後ろ盾にして、スカルノ大統領と共に世界史上はじめての有色人種だけの会議、アジア・アフリカ会議の開催に成功した。
 したがってバンドン会議の基調をつくり上げたのは、実質的にはインドネシアのスカルノ大統領、インドのネール首相、中国の周恩来首相であった。 
 会議には日本や中国など29カ国・地域が参加し、期間は4月18日から24日までの7日間に及んだ。最初の日に、イラクの外務大臣が「共産主義は新式植民地主義」と発言し、当時の冷戦構造を反映して会議は荒れ模様であった。それに対し、周恩来は「求同存異」(小異を捨てて大同に就く)を提起し、会議を成功に導いた。「中国の代表団は連帯を求めてやってきたのであって、喧嘩をするために来たのではない」「同を求めて来たのであり、異を立てるために来たのではない」と話し、会議の雰囲気を一変させた。また周総理は「中国人民は米国と戦争などしたくない。アメリカ政府とテーブルの席について談判を行い、極東の緊張緩和、とりわけ台湾地区の緊張緩和について議論することを願っている」と語り、アメリカの援助を受けている22カ国の態度を和らげた。(その後間もなく、大使級米中会談が長期にわたって行われることとなった。)
 会議は最終日に「アジアアフリカ会議最終コミュニケ」を発表した。それは経済協力、文化協力、人権と自決、付属地問題、その他問題、世界平和と協力の促進などからなるが、その最後の部分に各国が守るべき平和共存、友好協力の十原則が提起された。
 (1)基本的人権及び国連憲章の主旨と原則を尊重する。
 (2)全ての国の国家主権と領土保全を尊重する。
 (3)全ての人種の平等と全ての大小国家の平等を確認する。
 (4)他国の内政には関与または干渉せず。
 (5)各国が国連憲章に基づいて単独或いは集団で自衛する権利を尊重する。
 (6)集団防衛手段を用いて特定大国の特殊利益に奉仕するようなことはせず、また如何なる国も他の国に圧力を加えることはしない。
 (7)侵略行為または侵略脅威または武力を用いて如何なる国の領土保全或いは政治的独立を侵犯するようなことはしない。
 (8)全ての国際的紛争は、国連憲章に基づき、例えば談判、調停、仲裁、または司法解決などの平和的手段、または関係方面が自ら選択したその他の平和的手段を通して解決する。
 (9)相互の利益と協力を促進する。
 (10)正義と国際的義務を尊重する。
 バンドン会議はAA諸国を大いに鼓舞し、1956年から65年の10年間にアフリカで33の国が独立した。1960年には17カ国が独立し、「アフリカの年」と称された。しかし、その後。肝心のインドと中国の関係が悪化し、AA首脳会議は二度と開かれることがなかった。ただ、バンドン会議30周年式典が1985年にバンドン市で行われた子とは特記すべきである。AA地域の83カ国が参加し、(1)バンドン10大原則の再確認、(2)核実験と核兵器の製造禁止と不使用の要求、(3)民族自決、内政不干渉の強調、(4)新国際経済秩序の構築、(5)アジア・アフリカの連帯、などを謳った宣言を発表した。これは新バンドン宣言とも呼ばれた。
 バンドン会議が提唱した「連帯、友誼、協力」のバンドン精神と国家関係処理十原則は、過去50年間、国際政治に大きな影響を及ぼした。最も顕著なのが非同盟諸国首脳会議に見られる非同盟運動である。
 チトー、ネールなどの主導の下で、1961年にベオグラードで第一回非同盟諸国首脳会議が開かれ、28カ国が参加した。参加資格は(1)平和共存(2)民族解放運動の支持(3)軍事ブロックへの不参加、非同盟主義をとることとなっていた。第八回会議は1986年にジンバブエで開かれ、発展途上国101カ国が参加した。第三世界の代弁組織として、東西対立と南北対立の解決に一定の貢献をしてきた。
 1990年代に入ると、中国改革開放政策の進展、ソ連の崩壊などにより、東西対立が解消したため、先進国と一線を画してきた路線は現実的意義がなくなり、非同盟の求心力は低下していった。そこで、1992年にジャカルタで開かれた冷戦終結後最初の首脳会議で、スハルト大統領は「南北対話」と「経済協力」を重視する新たな方針を打ち出した。二回目の会議は95年にコロンビアのカルタヘナで開かれ、途上国の経済社会の発展を非同盟運動の第一課題と位置づけ、先進国との協調や協力の必要が訴えられた。このように経済発展に新たな結集の軸を見出す方向に動き出した。これは今回の第二回AA諸国首脳会議の内容と相通ずるものがある。
 
 二 今回のAA会議の背景と内容
 今回のAA会議は、2002年、ムベキ・南アフリカ大統領とメガワティ・インドネシア大統領の合意によって開催の決定がなされた。会議は閣僚(外相)会議と首脳会議の二つに分かれている。まず05年4月20日、バンドン会議50周年を記念する閣僚会議がジャカルタで開かれた。政治、経済、社会、文化面の関係強化を目指す「新しい戦略的パートナーシップ行動計画」を含む閣僚声明が採択された。約90カ国の閣僚や大使が参加し、新たな課題として貧困撲滅やAA両地域間の貿易投資の促進、グローバリゼーションへの対応などを指摘し、アジアの経験をアフリカ支援に生かす協力を更に推進することで一致した。そして外相会議は二年に一回開かれることが決まった。
 4月21日、国連のアナン事務総長がAA閣僚会議で国連改革に関する特別会議を開き、多国間主義の強化のための安全保障理事会改革の必要性を強調した。アナン事務総長は、AA地域は人口の7割以上が集中しているにも拘らず、国連での存在感が薄いと述べ、「早期に国連改革を実行する必要がある」と強調した。
 4月23日、24日に第二回AA首脳会議が開かれ、106カ国・地域が参加した。規模は第一回会議の3倍以上で、半数以上は首脳が参加した。24日には「アジアアフリカ(AA)新戦略パートナーシップ」宣言が採択され、新しいAA関係を構築する決意が表明された。首脳会議は4年に一回開かれることとなり、二年ごとに開く外相会議とは別に、必要に応じてその他の閣僚会議または技術レベル会議が開かれることも決まった。
 アジア・アフリカ・ビジネスサミットも開かれ、ユドヨノ大統領は基調講演で、「両地域間では経済分野での協力を具体化する仕組みができておらず、1955年に打ち出した未来像は半分が実現したに過ぎない。失われた50年の機会を取り戻す」と意欲を語った。このビジネスサミットは4年ごとに開かれる首脳会議に合わせて今後も開かれることとなった。
 24日にはゆかりの地バンドンの独立記念館で50周年記念式典が開かれた。主催国インドネシアのユドヨノ大統領が「バンドン精神をたたえ、新しい息吹を吹き込もう」と演説した。
 第一回AA首脳会議の立役者であったスカルノ大統領の娘として、メガワティ大統領が50周年記念大会を思い立つことは十分納得できることである。前回の大統領選で負けてしまい、結局、会議はユドヨノ大統領が主宰することになったが、第二回AA会議がかくも盛大に行われ、しかも持続的国際会議として定着するようになったのは、正に時代の要求にマッチしたからである。
 バンドン会議は、経済協力や文化協力も謳ったが、反帝国主義と反植民地主義の政治色が濃かった。また当時の冷戦構造を反映して、参加国を一つにまとめることはたいへん難しかった。前述した如く、バンドン指針は非同盟運動(中国も日本も参加していない)に引き継がれたが、それは主として政治的運動であり、経済の発展と協力には、殆ど影響を与えることがなかった。つまり一定の政治的効果はあったが、経済的効果は殆どなかったのである。ユドヨノ大統領が「半分実現しただけ、失われた50年を取り戻せ」という言葉は、正に過去50年の問題点を指摘している。
 中国は1980年代から経済建設重視に路線を変えた。インド、ベトナムなども改革に乗り出した。こうして、東アジアの四つのドラゴン、シンガポール、香港、韓国、台湾の高度成長に続いて、ASAN,中国、インドなどが経済発展の軌道に乗った。それに対し、アフリカの多くは後れたままで、南北格差は拡大している。発展するアジアと停滞を続けるアフリカ、このギャップを如何にして埋めるかが世紀の課題となったのである。この問題に答えたのが「新AA戦略パートナーシップ」宣言である。
 バンドン会議の10原則に代わるものとも言うべき9原則を見てみよう。
 (1)「1955年AA会議で採択されたバンドン精神を堅持する。」国によって重点の置き所が違うであろうが、中国は「連帯、平等、協力」がバンドン精神としている。
 (2)「各地域内及び地域間の社会経済制度面での多元化と異なった発展水準を確認する。」これは先進国、特にアメリカによって主張される単一基準観への批判である。
 (3)「相互尊重と相互利益を踏まえて、オープンな対話を行う。」秘密主義を排し、オープンな対話を強調するのは、相互信頼と国際世論の獲得を意識したものであろう。
 (4)「全ての利益関係者による非排他的な協力を促進する。」現在の国際ルールを遵守して、排他的な閉ざされた協力関係を結ばないと表明した。
 (5)「比較優位、平等なパートナー、共通のアイデンティティー、共通の理想、断固とした共通の信念に基づいて、実務的且つ持続可能な協力を展開する。」政府レベルは明確な目標・原則をもつが、実務的には市場原理に基づくというもので、政府と市場の結合を明示した。
 (6)「二つの洲にある既存の地域及びサブ地域の組織を強化・補充し、持続可能なパートナー関係を促進する。」すでにあるアジアとアフリカの諸組織間の連携を強化し、その活性化を図るというものである。
 (7)「公正、民主、透明で、責任を負う和諧社会の構築を推進する。」最近、中国で盛んに言われている「和諧社会」の構築が採用されたことは注目に値する。
 (8)「発展権を含む人権と基本的自由を保護し、促進する。」先進国と一部発展途上国の矛盾の一つとなっている人権と自由を肯定的に評価すると同時に、中国の主張する発展権も書き入れた。この項目は主権の相対化に繋がるものである。
 (9)「多国間の場での集団的統一的行動を促進する。」これは主として、先進国への発言権を強化しようとするものである。
 宣言のその他内容とこの9原則から見て、今回のAA会議と50年前のそれと比べて、次のような特徴または相違点がある。
 1政治重視から経済重視へ。政治面での協力が政治、経済、社会文化三大分野の全面的協力に転換した。植民地主義や人種差別が制度的には根絶され、政治的目標は達成された荷に対し、経済的、社会的な発展の立ち後れが顕著な現状においては当然のことであった。
 2反帝国主義、反植民地主義から反単独行動主義へ(多国間主義の強調)。宣言は「多国間主義を支持・強化し、多国間体制の改革を含むグローバル問題の解決に当たる」として、名指しこそ避けているが、アメリカの単独行動主義を批判している。
 3南北対立から南北対話へ(グローバリゼーションの容認)。長い期間、南の国の貧困は北の国の搾取によるという見方が支配的であった。ところがアジアの経済発展、とりわけ中国、ベトナムの改革開放政策の成功によってこの神話は崩れ、南北対話が主流となった。そして経済のグローバリゼーションを前向きに受け入れ、積極的に対応していくことが定まった
 4国連軽視から国連重視へ。冷戦構造の中で、拒否権が頻繁に行使され、国連は十分な役割が発揮できないでいた。ところが冷戦構造の崩壊によって、国連の果たす役割はますます大きくなった。ただ、唯一の超大国アメリカが国連を軽視しているが、AA諸国は国連の改革を通じて多国間主義を強化し、アメリカの単独行動主義を牽制しようとしている。
 5絶対的国家主権の相対化。50年前は独立自主が大きな課題で、AA諸国にとって国家主権は絶対的なものであった。しかし国際協調が進む中で、国家主権の一部譲渡が行われるようになり、しかも権力不在の紛争地域での国際社会の関与が不可欠というような事態も生ずるに至った。そのため、南北対立の時代には「内政干渉」と言われたようなことも、一定の条件の下ではあるが、許される方向が示された。

三 中国のAA会議での対応
 中国は今回のAA会議をたいへん重視し、各マスメディアは早くから特集を組んで大々的に宣伝を行った。専門家による評論もかなり出された。それらには概して次のような特徴があった。(1)1955年のバンドン会議の紹介、(2)周恩来の果たした偉大な役割、(3)バンドン精神の生命力、(4)AA会議の在り方、(5)21世紀におけるAA会議の意義、などである。
 胡錦濤国家主席はAA財界人が出席した21日の「ビジネス・サミット」会議で、「チャンスを掴み、全面的に協力し、共に発展しようと」と題してスピーチを行った。その中で、中国の経済発展と五つの基本方針(科学的発展観、五つの統一的配慮、社会主義市場経済、新工業化の道、対外開放)を述べると同時に、次の三つの共通の努力目標を提起した。
 (1)「自国の実情を出発点として発展を図ること。」「国情に合った発展の道、発展モデルを確定しなくてはならない」「現代文明の成果を広範に吸収し、経済グローバル化の中で経済を発展させる法則性を掌握しなくてはならない」「制度の改革・革新を行い市場メカニズムを効果的に利用すべき」などと言っている。注目すべきは、アメリカモデルの押し付けに反対すると同時に、一部発展途上国や市民団体に見られるグローバル化反対にも批判的である。
 (2)「平等互恵の協力を全面的に展開すること。」「各国政府の協調機能を発揮し、政府、企業、民間、国際経済組織の資源を積極的に活用・調合して」「南南協力の質とレベルを大いに高めよう」と述べている。ここでは、政府間協調機関の必要性が語られており、実体を伴う事務局設置を想定したものであろう。
 (3)「協力・オールウインの国際的発展環境を整備すること。」国際経済新秩序は、発展途上国の共通の要求であると同時に、世界経済の持続的発展を実現する上での必然的道でもある」「平等互恵を踏まえて、南北対話と協力を推進しなくてはならない」と述べている。ここでAA諸国に新国際経済秩序構築への積極的参加を呼びかけ、南北間の対話と協力を訴えている。
 翌4月22日に開かれた首脳会議で、胡錦濤は「時代と共に進み、過去を受け継ぎ未来を切り開き、新アジアアフリカ戦略パートナーシップを構築しよう」と題したスピーチを行った。その中で、今、世界は「平和、発展、協力が時代の流れ」となっており、「経済のグローバル化トレンドは大きな発展を見ており」「AA諸国の発展加速化に歴史的チャンス」を与えているが、他方で「覇権主義、テロリズム、局部的戦争、国際的犯罪などの問題が世界の平和と安定に影響をおよぼしている」また「環境の悪化、自然災害、伝染病などが依然として人類の生存と発展を脅かしている」とし、更には「グローバル経済の不均衡発展、南北格差の拡大、保護主義の台頭など外的要因によって、また自国の基礎が脆弱であるために、多くの発展途上国は経済社会の発展の中で多くの困難と矛盾に直面しており、國によっては周辺化の危険に直面している」と問題の重大さを指摘した。
 ここで注目すべきは「覇権主義」を提起しており、これは明らかに主としてアメリカを指している。また発展途上国の困難と危機の原因は、外部条件の厳しさにあるが、同時に「自国の基礎が脆弱である」という言葉で、内的条件の改善、つまり改革の必要性を遠い言い回しで指摘している。
 そして胡発言は、次の三つの共通の歴史的責務と歴史的課題をAA諸国に提起した。(1)「経済社会の発展を速め、国民の生活水準を高める。」(2)「伝統的安全の脅威と非伝統的安全の脅威に対処し、世界の平和と安定を維持する。」(3)「発展途上国の権益を守り、公正且つ合理的な国際政治経済新秩序を構築する。」
 更に胡錦濤は、AA新戦略パートナーシップの青写真について、政治、経済、文化、安全の四方面にわたって次のように語った。
(1)政治面:「相互に尊重し、相互に支援する協力パートナーとなる。」国連憲章、平和共存五原則、バンドン会議十原則を踏まえて、「1)主権平等を堅持する、2)共に多国間主義を推進する、3)国際関係の民主化を促す、4)国際的活動での国連の中心的役割を擁護する、5)発展途上国の正当な権益を守る。」
(2) 経済面:「相互に補完し合い、ウィン・ウィンの協力パートナーとなる。」1)協力ルートの拡大、協力内容の充実、協力モデルの多様化を図って「経済貿易協力と相互投資を促進する。」2)「AA地域組織の交流と協力を推進し、政府、民間、企業、国際組織の力を十分に発揮させる。」3)「経済グローバル化への対処能力を強め、発展戦略問題の対話を展開する。」4)「政策協議を強化し、国際経済、金融、貿易ルールの作成に積極的に参加する。」5)「南南協力を推進し、経済のグローバル化が均衡、普遍的恩恵享受、ウイン・ウインの方向に発展するようにする。」
 (3)文化面:「相互に相手の経験に学び、相手の長所を取り入れて自らの短所を補う協力パートナーとなる。」1)「求同存異のよき伝統を発揚し、開放的な包容精神を提唱する。」2)「文明、宗教、価値観の多様性を尊重し、各国が選択した社会制度や発展モデルの自主権を尊重する。」3)「異なった文明の友好的共存、平等な対話、発展・繁栄を推進し、和諧社会を共に構築する。」
 (4)安全面:「平等で相互に信頼し、対話によって協調を図る協力パートナーとなる。」1)「相互利益、相互信頼、平等、協調の新安全観を確立し、対話で以って相互信頼を増進し、話し合いで以って矛盾を解消し、協力で以って安定を図る。」2)「各種の伝統的安全脅威と非伝統的安全脅威に対処し、世界の平和を守る。」
 ここで胡錦濤のAA会議での発言は次のようにまとめることができる。
 1 長期的方向性の提示。50年ぶりに開いたAA会議がどうあるべきか。これはたいへん重要な問題であり、胡錦濤は新国際経済政治秩序の確立であるという方向性を示した。それは回を重ねるにつれて、ますますはっきりしてこよう。
 2 南北格差縮小への決意。1960年代から南北問題が国際的に論じられながら解決を見ていない。しかし現在中国は、自らがそれに取り組む力がついた。そのため、口先だけでなく、行動で以って範を示すことが可能となった。
 3 中国の実践に基づいた原則的提案。胡錦濤発言は多くの原則的提案を行っている。それはただ概念から導かれた空論ではなく、26年の改革開放政策で得られた経験に基づいている。そのため説得力があり、多くの有識者が頷けるものであった。
 4 南北対話と南北協力への強い意志。中国は26年前に、南北対立から南北対話への大転換を行った。その実績を背景とした胡錦濤発言は、AA会議に大きな影響を与えた。グローバル化への反対は下火となり、南北対話による改善が主流となりつつある。
 5南南対話と南南協力への積極姿勢。南南協力は20数年前から言われたが、余り効果がなかった。実力が伴わなかったからである。しかし一部発展途上国はテイクオフに成功し先進国の仲間入りをした。とりわけ中国とインドの好調な発展は南南協力に弾みをつけさせる。

四 中国の近期戦略目標と長期戦略目標
 以上の事実を踏まえて、中国のAA会議を巡る戦略を見て見よう。その場合、今後10年くらいの比較的短期の戦略目標と、今後30年、50年を念頭に入れた長期戦略目標に分けて考えてみたい。 
 近期戦略目標を論じる前に、第一回バンドン会議の時の中国の戦略的課題について簡単に触れたい。朝鮮戦争が1953年に終わった後、アメリカは中国包囲網を敷こうとした。
1954年9月、アメリカ主導の軍事同盟である東南アジア条約機構が成立。同年、米は台湾と「共同防衛条約」を締結。1955年、米は「バグダッド条約機構」を成立。こうして、日米安保条約、米韓防衛条約と共に、三日月形の対中国包囲網が形成された。中国は広くアジア諸国と接触し、中国への警戒感を解き、対中包囲網を解く、或いは形骸化させることにあった。前述した如く、第一回AA会議は、一応、成功を収めた。
 今回、当時と比べれば、全然、様相が違うし、中国としてはずっとやりやすい状況にあることは言うまでもない。しかし、中国経済が急成長する中で、経済と軍事の両面で中国脅威論が台頭している。とりわけアメリカのタカ派が、中国の軍事力膨張を誇張し、軍事脅威論を煽っていることは重大だ。こうした中で、AA会議が開かれたことは、50年前と同じように、中国の独立自主の平和外交を訴えるよきチャンスを提供してくれたことになる。
 近期戦略目標としては次の三点が考えられる。
 1 米単独行動主義への牽制。現在、国連を中心とする国際組織は大きな危機に直面している。冷戦後、アメリカは唯一の超大国となり、4回にわたって局地戦争を発動したが、国際社会は阻止する能力をなくしている。2003年3月のイラク侵攻は国際社会の多国間主義か単独行動主義かの矛盾に新たな発展を見た。二期目のブッシュ政権は一期目と同じく、単独行動主義を継続する可能性が大きい。この時期に当たって、バンドン精神を提唱し、AA諸国の連帯を図ることは格別の意義がある。
 2 エネルギー資源の確保。中国の経済成長に伴った、石油、天然ガスを中心としたエネルギーの長期的安定供給は益々重要となってきている。今回のAA会議での胡錦濤と各国首脳との会談及び訪問先(ブルネイ、インドネシア、フィリピンピンを正式訪問)活動からもこの意図が見て取れる。胡主席は22日、アルジェリア、パキスタン、ネパール、パプアニューギニアの首脳と会談したが、アルジェリアとパプアニューギニアは原油などを産出するエネルギー国である。またジャカルタ入りする直前に石油と天然ガスが豊富なブルネイを訪問し、協力関係強化を確認した。25日にはOPEC加盟国インドネシアを訪問し、ユドヨノ大統領と「戦略的パートナーシップ宣言に」署名したが、その中には「エネルギー政策の対話と協議を強化する」項目がある。続いてフィリピンを訪れ、南沙諸島のエネルギー資源の共同開発推進について協議した。フィリピンでは中越比の三カ国が、南シナ海で地震調査を行う協定に共同署名することになっていた。(?)これは南シナ海共同開発の第一歩となる。なお、アフリカは石油資源ばかりでなく、その他の資源にも恵まれており、諸資源確保の視点からたいへん重視している。
 3 中国企業の対外進出。今世紀に入って、中国は「走出去」政策を本格化し、中国企業の対外進出を奨励している。進出先は先進国と発展途上国に分かれるが、最も進出しやすいのはAA発展途上国である。AA会議での諸活動が強化され、投資環境が改善されれば、中国企業が進出しやすくなる。それは進出企業とって好ましいだけでなく、進出先の発展途上国にとっても好ましい。更には南北格差の縮小にも繋がる。
 4 周辺諸国の安全確保。中国は10数カ国と国境を接しとり、周辺諸国の安全確保が直接中国の安全に関係する。またマラッカ海峡などの安全は中国の石油確保と密接にかかわっている。インドネシアとの共同宣言は全部で28項目からなるが、第8項目は「双方は防衛と軍事分野での相互信頼を促進し、それぞれの国防産業の発展を推進し、防衛安全協議メカニズムの確立を積極的に検討していく」と書かれ、テロ対策、海賊対策などで情報を交換し、協力して対処することなども謳われた。

 長期戦略目標は新国際政治経済秩序の構築にあり、それは長期にわたる努力を経て、はじめて成し遂げられるとしている。05年7月1日、中国とロシアは「21世紀国際秩序に関する共同コミュニケ」に調印したが、中国の長期戦略目標はこのコミュニケに最もよく現されている。全部で12項目からなるが、その要点を下に列挙しよう。
 1 「当今の世界は、正に歴史的変革を経つつある。国際新秩序構築は複雑且つ長期にわたるものである。」
 2 「公認された国際法の原則と準則基礎として、また公正で合理的な世界析秩序の下で、はじめて人類の直面する問題を解決できる。」
 3 「国連は世界で最も普遍性、代表性、権威性のある国際組織で、その地位と役割は取って代わられない。」
 4 「グローバル化進展の積極的意義は、空前に活発な経済貿易関係と極めて広範な情報公開によって世界経済が促進されることにある。他方で、グローバル化の発展は甚だ不均衡であり、先進国家・地域と世界のその他国家・地域との格差を拡大している。」
 5 「世界人口の大多数を占める発展途上国は世界平和と発展を維持する重要な勢力である。
 6 「人権は普遍性を有する。」「国際的人権保護は、各国の主権平等と内政不干渉の原則を断固維持する上で確立されるべきである。」
 7 「多民族国家の歴史的伝統とそれの融和共存、共同発展、国家統一への努力を尊重すべきである。」
 8 「世界の文化と文明の多様性は相互充実になるべきで、相互衝突の基礎となるべきではない。」
 9 「国際社会は共に努力し、相互信頼、相互利益、平等,協力の新型安全枠組みを確立するよう呼びかける。」
 10 「「地域一体化は当面の国際情勢発展の重要な特徴である。」
 11 「中ロ新型国家関係は国際新秩序の確立に大きく貢献している。」
 12 「合理的且つ公正な21世紀国際秩序を構築することは、各方面が受け入れることのできる立場と決定を絶えず捜し求めていくプロセスである。」
 以上の12項目は、国連主導の下で、新しい脅威と挑戦に対応するグローバルシステムを構築していこうという提案である。各項目の中には「国際問題での独占と主導権を求めない」「国家を指導型と従属型に分けない」「国連の国際問題での主導的役割を強化する」「社会政治制度モデルを外部から押し付けない」「(テロ根絶問題で)ダブルスタンダードをとってはならない」など、明らかにアメリカの単独行動主義を牽制する内容もある。しかし、アメリカと対決するものではなく、アメリカの有識者と共に、新しい国際秩序を作っていこうという姿勢が見て取れる。
 現在、中国の外交は三大領域、即ち大国間、隣国間、対発展途上国、で展開されている。
AA諸国会議は、発展途上国に新国際秩序を宣伝する格好の場である。現在、中国の長期戦略目標が最も進展しているのはロシアと上海協力組織である。今後、東アジア共同体、ASEM、APECなどさまざまの国際組織でも働きかけようが、最も効果が期待できるのはやはりAA会議であろう。

五 日中関係への影響
 日中間系が困難な中にあってジャカルタでの日中首脳会談が世界から注目された。今会談で胡錦濤は日中関係改善の指針として次の五点を挙げた。(1)日中共同声明など日中間の三文書を厳守する、(2)歴史を鑑として、未来に向かう姿勢で歴史問題を適切に処理する、(3)台湾問題では一つの中国の原則を守り、独立を支持する行動をとらない、(4)日中間の食い違いは対話を通じた平和的解決を目指す、(5)政治的交流と民間交流をさらに進める。また日中双方は懸案課題の解決や人的交流の拡大を盛り込んだ「日中共同作業計画」策定を進めることを確認した。これを転換点として、日中関係が改善の方向に進むと思われたが、小泉首相の国会発言によってまた後戻りしてしまった。
 ここで50年前の周恩来・高崎達之助会談を回顧してみよう。
 1955年4月18日、バンドン会議で周恩来、廖承志と高崎達之助、藤山愛一郎の会談が行われた。戦後最初の日中政府間接触であった。日本は国際社会に復帰したばかりであったし、冷戦の最中でもあった。軍国主義イメージを払拭するために、日本代表団は平和宣言を提起した。しかし、当時のアジア諸国は日本に対して信頼感がなく、日本の提案は余り省みられなかった。それを周恩来が前向きに評価し、最初に支持を表明した。それにより提案は大会で採択され、日本代表団の面目が保たれた。ここに周恩来の遠大な対日戦略が見て取れる。(王俊彦著:「中日領導人万隆会議期間進行戦後首次接触」、『中日関係史研究』04年第3期号)
 今、日中双方の求められるのは、50年前の周恩来の対日戦略思想であり、27年前の大平正芳氏の対中戦略思想である。大平氏は1979年12月7日、中国人民政治協商会議で演説し「1980年代のみならず、21世紀へ向けて両国間の良好にして安定した関係をあらゆる分野において発展させる」「このような日中関係を、アジア引いては世界の平和と安定に貢献するものとしなければならない」「日本が中国の近代化に協力するとの方針を強く打ち出した所以も、日本独自の考え方に加えて、このような世界の期待(注:国際社会の平和と安定のために一層積極的な役割を果たす)に裏打ちされているからである」と述べた。(「日本僑報」05年1月号)現在中国は、大平氏が望んだ如く経済が発展し、国際貢献ができる力を持つようになった。AA会議で、日中両国が力を合わせて、南北格差縮小に努めるのが筋である。
 今回のAA会議に、日本は50年前と違って、閣僚ではなく首相が出席し、会議の注目の的となった。それはけだし当然というべきであろう。AA会議で唯一の先進国であり、発展途上国の発展に最も貢献できる国であるからだ。小泉首相の演説は、過去の歴史に対する反省と謝罪から始まり、ここ50年の体外協力の実績を述べた上で、今後の国際協力遂行の決意を具体的数字でもって示した。総じて言えば、評価できるものであった。しかし、演説でも触れた常任理事国入り問題は、中国の反対に遭ってたいへん困難な状況に陥った。靖国神社参拝問題に代表される歴史認識問題で、中国や韓国の国民感情を害したからである。
 もしこの問題が双方の努力によって解決されれば、中国は次の三つの理由で日本の常任理事国入りを支持すべきだし、支持されるであろう。一つは日本が戦後60年、平和立国の道を歩み、国際的貢献をしてきたこと、二つ目は中国の改革開放政策を支援し、資金面ばかりでなく知的支援の面でも貢献してきたこと、三つ目は昨年11月、ASEAN10+中日韓3非公式首脳会議で東アジア共同体の構築が長期目標として決まったことである。AA諸国唯一の先進国日本が常任理事国になれない道理はない。しかし、それが実現できない日本の政治家と政府は実に嘆かわしいことだ。加害者は被害者に納得してもらうことに専念すべきで、ましてや挑発と見られるような行動をとるべきではない。
 日本は中国のAA会議での存在感にどう対応すべきであろうか。まず架空の指導権争いから脱皮すべきだ。中国は主導的役割を果たすなどとは言っていないし、何時もASEANの主導的役割を支持すると言っている。今回のAA会議中にも、胡錦濤は「ASEANが引き続き主導的役割を果たすのを支持する」と述べた。ただ中国がASEAN諸国と共に積極的に東アジア共同体を推進していることは確かだ。今後、AA諸国との関係でも積極的に協力を進めるであろう。しかしそれは指導権獲得を目指していることにはならない。筆者の察するところ、中国は国際組織での指導権獲得など目指しておらず、新国際経済政治秩序の確立を目指している。
 尤も周囲の国々が中国をリーダー格と見る可能性はある。しかしそれはリーダーではないし、ましてやリーダーを目指していたとは言えない。日本は政治制度の関係もあって、常に国際的リーダーとしての役割が問われる。これはある程度止むを得ないことであり、筆者は日本のこの欲求をある程度満たしてやる方が中国やその他東アジア諸国にとって有益だと提言している。
 とにかく日中双方は個別的問題で顔を赤らめるよりも、戦略的方向性をお互いに考えるべきだ。ここで外交学院院長呉建民氏(元フランス駐在大使)の一節を引用したい。「『モネー構想』の基本的精神とは、両国が共通の利益を発展させる中で、子々孫々の友好を実現するというものである。『モネー構想』は、中日双方がよく考えるに値する。
 周恩来総理は、かつて中日関系を「2000年の友好、50年の対立」と総括した。中日間の悪い関係は、仏独と比べたらずっと短い。仏独の間で恒久的平和を構築した秘訣は、両国がEU建設のプロセスで、双方の共通利益を大いに深め、発展させ、どちらも相手なくしてはやっていけないという局面を形成したことにある。このような局面は、ウインウイン局面であり、仏独人民に有利であるだけでなく、欧州人民、世界人民にも有利なものである。昨年の11月29日、ASEAN10+中日韓3の指導者が、ラオスのヴィエンチャンで会議を開き、東アジア共同体の構築が長期的奮闘目標であることを一致して決定した。歴史はやがて、これが深遠な歴史的意義のある決定であったことを立証するであろう。中日両国は、東アジア共同体構築という多角的枠組みの中で、共通の利益を大いに深化・発展させ、両国人民の子々孫々にわたる友好という宿願を、間違いなく実現し得るのである。」(「人民日報」05年6月16日)
 東アジア共同体構想は、日中両国に戦略的提携の場を与えた。AA会議はもう一つの協調の場を与える。4年後の第三回AA会議までに、日中両国は26年前の鄧小平・大平会談のような密接な関係を作り上げるべきである。

結びに代えて
 アフリカに代表される発展途上貧困国は戦後60年間に三つの段階を経た。第一段階は当初の20年間で政治的独立を勝ち取った。第二段階は中間の25年間で、冷戦構造の中、米ソ双方から援助を引き出すことができ、一定の発展を見た。第三段階は冷戦後の15年間で、援助が急激に減り、これまでにない困難に陥った。今回のAA会議を契機に、第四段階に入る可能性が出てきた。それはアジアの経験をアフリカに活かし、自助努力と外部援助によって経済を発展させ、貧困から抜け出すことである。ここで豊富な資金と経験を持つ先進国日本と高度成長を遂げつつある最大発展途上国中国の果たすべき役割は大きい。国際社会への責任感をもって、戦略的提携関係を築くべきだ。
2005年7月6日
 

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このページは、凌星光が2005年7月 6日 20:38に書いたブログ記事です。

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