新自由主義論を巡る中国での論争

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昨年7月から今年の3月にかけて、中国の経済学界において新自由主義論を巡る論争が展開された。それは学術論争の域を越え、人身攻撃がらみの政治闘争にまで発展する様相を呈した。そこで胡錦濤国家主席がストップをかけ、現在、論争は停止状態となった。しかし、この7ヶ月の論争は今後の中国を見る上で極めて重要な内容が含まれている。本稿では問題の提起、新自由主義批判、国内外情勢の背景、批判への反批判、当局の思惑と対応などを紹介しつつコメントし、最後に論争の在り方と今後の展望を提示したい。

一 劉国光氏の問題提起
  2005年7月15日、中国社会科学院元副院長劉国光氏が「高校理論戦線」に「経済学の教学と研究での問題」と題する談話論文(約1.5万字、記者が整理)を発表し、それが「毛沢東旗幟」「環球視野」などのホームページに流され、大きな反響を呼んだ。その見出しは次のようなものである。
 (1) 目下の経済学の教学と研究の中で西方経済学(注:近代経済学、非マルクス主義経済学)の影響が拡大し、マルクス主義経済学の指導的地位が弱化している状況について
 (2) このような状況をもたらした原因分析
 (3) イデオロギー分野での二つの相互に関連した傾向性の問題について
 (4) マルクス主義経済学と西方経済学の関係について
 (5) 西方経済理論及び新自由主義経済学への正しい対応
 (6) 経済学の教育は果たしてイデオロギーの教育かそれとも分析道具の教育か
 (7) 経済学の国際化と本土化の問題について
 (8) 中国の経済改革と発展は、一体、マルクス主義経済学を導き手とするのか、それとも西方経済学を導き手とするのか
 (9) 当面の傾向性問題をいかに克服するかについての若干の意見
この談話論文から注目すべき観点を要約すると、大体次の四点にまとめることができる。
1 西方経済学がマルクス主義経済学を凌駕
劉氏は現在中国の大学で西方経済学が主流となり、学生たちが「マルクス主義を嘲笑する現象」に危機感を抱き、次のように述べる。「西方経済学の影響が拡大し、マルクス主義経済学の指導的地位は弱められ、周辺化されている」「多くの学生は知らず知らずのうちに、西方経済学がわが国の主流経済学とみなすようになっている」「一部の人は西方経済学が中国の経済改革と発展の指導思想であると見ており、一部経済学者は公然と西方経済学が中国の主流経済学になるべきだと主張している」と。
そして、このような結果を招いた原因としては、まず外部要因として次の三点を挙げる。(1)「米国をはじめとする国際ブルジョアジーがわれわれを亡ぼす意図をなくしておらず」「絶えず西方化、分裂化を行っている。」(2)「社会主義陣営の崩壊によって、世界社会主義運動は低調期にあり、多くの人がマルクス主義理論は終わりだと見るようになった。」(3)「計画経済から市場経済に転換したため、一部の人はもはやマルクス主義経済学は終わりで、西方経済学のみがよいと誤解するようになった。」
内部要因としては「新情勢下でのイデオロギー闘争の経験が足らず、警戒心をおろそかにし、政策面でのミスがあった」とし、教育方針不明確、テキスト問題、教授陣問題などを挙げている。とりわけ「大學での経済学科、管理学科などの大学生や院生の教育の中で、政治経済学の科目が取り消され、科学的評価を経ていない西方経済学の原著テキストを身につけることのみが求められる」「入学試験の科目はマルクス主義経済学がなく、西方経済学だけである」などを厳しく批判する。
更に、中国社会が西方経済学、とりわけ新自由主義論の影響を受けて市場万能論が風靡し、一般大衆の利益を損なっていると次のように述べる。「現在、幹部の思想も変化しており、西方経済学を学んだわけではないが、その影響を受けている。地方の一部幹部は、国有企業改革問題で、また公有制か私有制かの問題で、また大衆の利益を擁護する問題で、われわれ共産党の対立面に立っている。例えば、不動産部門では、デベロッパーの利益を守り、一般大衆の利益など全く念頭にない。」
(2)批判すべきは新自由主義経済学
経済学での指導的地位はマルクス主義政治経済学でなくてはならないが、西方経済学すべてを否定するものではないとし、批判の対象を新自由主義経済学に絞る。
劉氏は次のように述べる。「古典的西方経済学には科学的要素と俗流的要素があり、その科学的要素はマルクス主義政治経済学に取り入れられた。現代西方経済学にも科学的要素、即ち現代市場経済の一般法則を反映する要素があり」「参考にし、学ぶに値する」。但し、「ブルジョア階級イデオロギーを基とした理論的前提はわれわれと根本的に異なるゆえ、全体的には社会主義中国に適合せず、中国経済学の主流にはなり得ない」と断言する。そして「西方経済学のなかでかつて主流の地位を占めていた新自由主義経済学」については、「市場経済の一般問題を研究する分析方法として少なからず参考になり、完全には否定できないが、その核心理論は受け入れるわけにはいかない」と言う。
その核心理論とは次の四点である。(1)「経済人仮説。私利私欲が不変の人間性と見る。この仮説は受け入れられないものである。マルクス主義は、私有制の下で私利私欲の一面があることを否定しないが、(基本は)『社会人』『歴史人』としての人間性理論である。」(2)「私有制は最も効率がよく、永遠であり、最も人間性に合い、市場経済の唯一の基礎であると見る。これは歴史的事実に反する。」(3)「市場の自由化、市場原理主義を盲信し、完全競争仮説と完全情報仮説を盲信する。実際には、このような仮説は存在しない。」「消費者の情報は生産者に及ばず、独占者の情報は非独占大衆に勝り、市場において両者は不平等である。」(4)「政府の役割を最小化するよう主張し、国家の経済関与とコントロールに反対する。」
そして、劉氏は北京大学陳岱孫教授、胡代光教授、中国人民大学高鴻業教授ら西方経済学専門家は正しい態度をとっていると称える。陳岱孫教授は早くも1983年に次の四点を指摘したと紹介する。「(1)社会経済制度が異なるため、西方経済学を一つの総体としては中国国民経済の発展と改革の理論とするわけにはいかない。(2)若干の具体的問題の分析面では確かに参考にすべきものがある。(3)制度上の根本的相違により、一部の技術的具体的問題においても、西側諸国の一部経済政策や措置をそのまま取り入れるわけにはいかない。(4)外国の経済学説の内容についての選択は『我を主とする』を基本原則とし、中国の基本的国情に合うものでなくてはならない。」
 (3)新現代政治経済学の構築
劉氏は、現在中国の大学では、経済原論が「マルクス主義経済学と西方経済学の二つがあり、事実上二本立てとなっているが、これは根本的に間違っている」と批判する。そして、上海財経大学教授程温富(現在、中国社会科学院マルクス主義学院副院長)を代表とする現代政治経済学派と北京大学教授林毅夫を代表とする現代西方主流経済学派が存在するとし、前者は「時代と共に発展するマルクス主義経済学を導き手」としているのに対し、後者は「第14期三中全会が社会主義市場経済の確立という目標を確定してからは、市場経済システム関連経済学が教育界で認められた」として、現代西方経済学が導き手と位置づけているとする。それを踏まえて、「もし西方経済学が真に中国で主流となり、主導的地位を占め、マルクス主義政治経済学に取って代わるならば、その長期的悪影響は計り知れない」と危惧を示す。
 劉氏は中国での経済原論は現代政治経済学であるべきで、「西方経済学の中で、社会化大生産と市場経済一般法則を反映する理論を、社会主義の原則にもとるものでなければ、なるべくマルクス主義経済学理論に吸収し」、新現代政治経済学の「消化された構成部分」とするよう主張する。そして新現代政治経済学は次の六部分から構成されるよう提案する。即ち「(1)政治経済学の一般理論;(2)資本主義経済;(3)社会主義経済;(4)ミクロ経済;(5)マクロ経済;(6)国際経済」である。
(4)「反右防“左”」と「指導権の反奪取」を提起
劉氏は、「社会科学は自然科学と違って、異なった社会集団、異なった社会階層・階級の利害を反映する」ため、イデオロギー闘争と密接な関係があるとする。そして「西方経済学思想の影響が高まっていることが、当面の主要な危険であり」「中国の改革が一旦西方理論、とりわけ新自由主義理論によって主導されれば、表面的には共産党が権力を握っていても、実際には徐々に色合いが変わってしまう」と政治的危機を訴える。
そして当面の重要な課題は「反右防“左”」(右傾化に反対し、左傾化を防ぐ)であると言う。「思想理論分野と改革開放の実践の中で、左からの妨害は日ましに弱まっており、当面の突出した傾向性問題はブルジョア自由化の声と傾向が蘇っている」「現在の主要な傾向は何であろうか、『反右防“左”』の問題を提起すべきではなかろうか」と党中央に政治的課題を提起する。1992年に鄧小平が南巡講話を発表し「反“左”防右」を提起し、改革開放推進の道を開いた。それが、現在は逆転しているというのである。
劉氏は更に、西方経済学者が各大学、研究所の行政的指導権を握っており、それを奪取しなければならないと説く。「現在、一部の指導権はわれわれの手にはない。大学の校長、院長、学科、研究所の主任、校長助理ら、それから中央主要部門・委員会の研究機構指導者は果たしてマルクス主義者であろうか。大多数はマルクス主義者と信じるが、一部の指導権は奪取されている」と見て、「当面、それをしっかりと点検整理する必要がある。と言うのは、教育系統だけでなく、国家の財政経済系統の一部ポスト、とりわけ一部研究機構のポストも非マルクス主義者の手にあるからだ」と主張する。これは、文革期に「走資派」(資本主義の道を歩む実権派)からの権力奪還を図ったときのことを思い起こす。余りにも政治色が強く、全く学術論争の域を越えている。

二 新自由主義への批判キャンペーン
 劉国光氏のこの論文は中国の学術界に大きなインパクトを与え、新自由主義への一大批判キャンペーンが起こった。それは「新左翼」と呼ばれる守旧派からの批判が最も激しく、「主流派経済学者」に批判の矛先が向けられた。当初、三ヶ月はネット上での個人的なものであったが、10月に入るとより組織的なものとなった。
 10月23日、「中国史的唯物論学会『毛沢東人民歴史観』特別研究チーム」「北京大地微々文化発展中心」「毛沢東旗幟HP(ホームページ)」の三団体主催で、第一回「劉国光経済学新論シンポジウム」が開かれ、中国社会科学院、中国人民大学、北京大学、首都経済貿易大学、中国メディア大学などから約30名が参加した。会議では、劉国光氏の「戦略的新観点」を支持するとし、次のような主張がなされた。
(1)元国家統計局局長李成瑞が「歴史的節目(ふしめ)、どこを目指して進むか」をテーマに発言し、「事実を並べ、道理を説く」大討論会を開くよう提案した。
(2)元国務院発展研究センター顧問詹武氏が「改革の社会主義方向をしっかりと掴むべき」をテーマに発言し、「改革の方向と性格は社会主義であって、もし改革が新自由資本主義の指導の下で私有化をやるのであれば、改革は推進力になれず、大破壊を招くであろう」と述べた。
(3)元政協(政治協商会議)副秘書長の芦之超は発言の中で「マルクス主義政治経済学の指導的地位を回復すべきだ」と述べた。
(4)中国人民大學張建君博士は「西方経済学と新自由主義を区別すべきだ」「新自由主義の出発点は、理念によって理念を打ち負かすという方法で社会主義を打ち負かそうとするものだ」と発言した。
(5)中国社会科学院経済研究所教授裴小革は「マルクス主義経済学は西方経済学よりも広い懐を持ち、前者は各階層労働者をみな経済活動の主体と見なしているのに対し、後者は企業家だけを経済活動の主体とみなし、広範な労働者はモノと同じに見ている」と述べた。
 11月5日、上述の三団体主催によって第二回「劉国光経済学新論シンポジウム」が「烏有之郷書社」で開かれ、中央党学校等を含むより多くの大学・研究機関から約60名が参加した。会議では次のような主張がなされた。
 (1)「毛沢東旗幟HP」顧問張勤徳が「現在展開されている理論闘争は二つの改革観闘争であり、四つの基本原則を堅持するか否定するかが、それを見極める基準である」と述べた。
 (2)中央党学校の老教授呉健が四人の老教授を代表して「指導思想問題について」をテーマに発言し、「現在はまだ局部的、一定限度内の私有であるが、西方経済学がすでに主流となり、わが国の一部分野では『東』(注:社会主義)が『西』(資本主義)に転化しつつある」と警告を発した。
 (3)中国社会科学院教授左大培は「現在、ある者は改革の旗を掲げて資本主義、しかも最もよくない資本主義を復活させている」と述べた。
 (4)左翼雑誌「中流」常務副社長孫瑞林が「20数年前に社会的実践が真理を検証する唯一の基準として大討論を展開したが、この基準は現在にも当てはまる」と発言した。
 (5)北京大学元党副書記梁柱が「マルクス主義者は立ち上がって発言すべきだ。――劉国光同志の談話が抹殺されたり、尻切れトンボになったりしないかを憂う」と述べた。
 なお、この会議では、多くの書面発言が提供されたと言う。
11月23日、中国社会科学院学術報告ホールで、前述三団体による第三回「劉国光経済学新論シンポジウム」が開かれ、約130名が参加した。中国社会科学院マルクス・レーニン主義研究所所長李崇富氏が歓迎の辞を述べ、劉国光氏や元ソ連駐在大使楊守正氏らも発言した。リタイア組みばかりでなく、現役の指導者もかなり参加しており、かなり本格的なシンポジウムになったと言える。そのためか、この会議には「人民日報」、「光明日報」、「経済日報」、「中国経済時報」、「経済観察報」及び雑誌「求是」、「党的文献」、「高教理論戦線」、「金融週刊」など主要マスメディアの記者も多く参加した。
この会議では、次のような意見が出された。
(1)中国人民大学老教授宋濤が発言し「中国がロシアの道を歩まないか心配だ」と述べた。
(2)元ソ連大使楊守正氏は「共産党員は私有制消滅を堅持すべきだ。――アメリカ帝国主義は中国を消滅しようとしている、プロレタリア独裁を放棄させようとしている」と述べた。
(3) 海南省機械設備輸出入公司社長趙翠蓉が、「私有化の波が国有企業に与えた大きな危害を暴露し、社会主義の主体としての国有企業保持の困難さ」を語った。
(4) 清華大学教授呉棟は「改革開放20数年を経た今日、次の中国の道はどうあるべきかについて、マルクス主義をよく研究すべきだ」と書置きを残した。
(5) 元中央党学校副校長韓樹英は「今後も小会議、大会議を交互に開き、勝利を収めるまで、絶対に矛を収めるな」と書置きを残した。
なお、この会議では、「資改派」(ブルジョア自由化改革派)と「社改派」(社会主義改革派)の論争と位置づけ、呉敬璉の「憲法に『人民民主主義は実質的にはプロレタリア独裁』と規定するのは不適切」、曹思源の「中国共産党は社会党に改称すべき」、李鋭の「マルクスの理論体系の基本的観点は間違っている」、李君如の「姓社姓資と姓公姓私を問わないのは二つの思想大解放」などの論調に、批判の矢が向けられたとのことだ。
今年一月に入ると、論争は更にエスカレートしていった。劉国光氏が「若干の問題」の
中で「理解に苦しむのは、このような言論(新自由主義論調)が政府の経済体制改革協会組織のフォーラムで語られていることだ」述べたが、それは暗に経済体制改革協会会長高尚全を指していた。そこで,高氏は「史的唯物論で中国の改革を評価する」と題する一文を「経済観察報」10月3日号に掲載した。それは「経済参考報」(10月17日)「新華文摘」(12月20日第24号)に転載され、光明日報ネットなどにも流され、全国に広まった。
その中で高氏は「主要矛盾は、公共財の需要が全面的に急スピードで伸びているのに対し、公共財の供給が極めて不十分であることにある。真の焦点は行政権力が市場化分配に参加したために起こった不公平にある。政治改革の推進、政府公共サービス機能の強化こそが、社会矛盾を効果的に解消する基礎であり、前提である」とし、市場経済化の徹底を図るよう主張した。また新自由主義批判に対しては「いわゆる新自由主義批判の名の下に改革を否定しようとする障害が存在する。―――われわれは引き続き思想を解放し、改革を堅持し、障害を排除し、絶対に新自由主義を批判するからといって改革を否定してはならず、絶対に騙されてはならない。さもないと災難的悪結果を招く」と暗に劉国光氏を反批判した。
これに対し、「社改派」から厳しい批判が展開された。例えば北京航空航天大学副研究員
(副教授)韓徳強は1月13日に「新自由主義者がいかに改革に影響を与えているか――高尚全の最近の言論を評す」を発表、中国人民大学教授周新城が「わが国改革の指導思想はマルクス主義であり、新自由主義ではない」を発表した。これらの論文は何れも新自由主義批判がどうして改革否定、改革反対なのかと高尚全氏を批判している。
 韓徳強は、高氏が公共財の不足が矛盾の焦点と言うが、「医療の市場化、教育の市場化、住宅の市場化、交通の市場化、銀行の商業化」など「公共財の市場化によって公共財の重大な不足がもたらされた、それをやったのは正に高尚全の参画した改革の基本方向ではなかったか」とその責任を追及する。また高尚全氏が「米国の情報機関から新自由主義の代表的人物が派遣され改革を指導し、平和演変を図っているのではと言うのは、でたらめも甚だしい」と書いたことに対し、韓徳強は「高氏が米国CIAの派遣した代表人物ではないと信じるが、高氏の進める論理は米国CIAの望む結果を招いている。それは正にゴルバチョフがCIAの特務ではなくても、100万人の特務よりも更に大きな役割を果たしたのと同じだ」と人身攻撃的な批判を加える。
 周新城教授は、さすがに名指しは避けているが、「わが国の改革開放は新自由主義の諸理論に基づいて行われている。新自由主義を批判すれば必ずや改革開放を傷つけ、われわれ自身を批判することになる」という某経済学者の論調に対し、「改革反対のレッテルで以って新自由主義批判に反対しようとするのは、原則的問題、即ち改革の指導思想はマルクス主義か、新自由主義かに関わってくる」と批判する。周氏は、「新自由主義は国際的独占ブルジョア階級の利益を反映する国際的思潮で、政策的にはかの有名なワシントンコンセンサスに体現されている。その核心はスピーディーな私有化、自由化、政府の役割最小化である」とし、「米国がしきりに新自由主義を中国に売り込むのは、中国の改革がワシントンコンセンサスに基づいて行われるのを期待しているからで、その目的は中国の改革を資本主義化の道に導くことにある」と説く。
韓徳強は1月15日、「主流経済学者はなぜ改革を誤導したか?――呉敬璉一連の言論を評す」を発表し、「呉市場」「経済学者の良心」と呼ばれている呉敬璉氏を二重の原理主義者だと、人身攻撃とも言える厳しい批判を加える。「ただ計画経済のみが頭にあり、それに夢中となる、または逆に、市場経済のみが頭にあり、それに夢中となるのは、真の経済学者とは言えず、計画原理主義者、市場原理主義者と言うべきだ。計画経済時代、呉敬璉は計画経済の原理主義者で、師である孫冶方を批判した。孫冶方が価値法則(注:市場原理)尊重を提唱したからである。改革開放時代になると、呉敬璉は一躍市場経済原理主義者となり、計画経済の討伐を自らの責務としている。このような人間は、果たして経済学者なのか、それとも投機的政客なのか?」と。
高尚全、呉敬璉、林毅夫、励以寧氏ら主流経済学者のほかに、香港大学教授張五常氏へ
も厳しい批判が寄せられている。というのは、過去10年間、張教授は北京大学、遼寧大学、南開大学、華中理工大学などあちこちで講演し、毛沢東時代の中国経済、マルクス主義経済学を批判し、新自由主義を謳歌したからである。「マルクス主義は完全に失敗した」「社会主義をやるには、姓資姓社、姓公姓私を問わなくてもよい」「企業は私有化を避けて通れない」「人間の本性は私利私欲」などを言いまくり、聴衆者の大歓迎を受けたというのである。
最近、程恩富氏が若きマルクス主義経済学者としてたいへん脚光を浴びているが、その理由は10年前から張五常を批判してきたことにあるようだ。程氏は昨年12月24日、「毛沢東旗幟HP」主催の毛沢東生誕112周年記念大会で「毛沢東時代の経済的業績を論ず」と題して講演を行った。そのなかで、張五常の「毛沢東時代の経済は滅茶苦茶で、完全に失敗だった」という論調を批判している。   
 そのほか王志華著「大系統価値学説――政治経済学の変革」はマルクス主義を徹底的に
否定するものだと批判され、その序文を書き絶賛した中国社会科学院経済研究所教授趨
東寿氏も批判されている。
 新自由主義批判は明らかに学術論争の範囲を超え、政治的キャンペーンと化した。その
ため、批判された当事者の多くは反論をせず、当局の態度を待つという姿勢をとった。

三 国内外情勢の新背景
 中国において新自由主義批判が高まったのは、国内外の情勢変化によるものであった。それを、歴史的プロセスを踏みながら分析してみたい。
 A 国内情勢
まず国内情勢についていえば市場万能論の横行が挙げられる。中国の改革理論は、1980年代においては戦後日本の経験が重視され、市場経済化は慎重に行われた。政府の役割と市場の役割との結合、つまり混合経済志向であった。米国や香港の影響を受けて、絶えず市場万能論の影響を受けたけれども、社会主義理念の制約を受け、一定限度内に止まった。   
1990年代後半になると、日本経済の不振と米国経済の繁栄から、米国の新自由主義論が中国での影響力を拡大していった。米国留学帰りが、中国の重要ポストを占めるようになったことも重要な一因であった。また2001年のWTO加入に厳しい条件をつけられ、自由化の国際的圧力が強まったことも一大要因である。1994年に提起された社会主義市場経済論の社会主義は空洞化し、市場経済化のみが一人歩きしていった。
新自由主義経済論は私利私欲の追求を土台としており、このような思想が非経済部門にも広がり、拝金主義が全社会の各分野に拡大していった。それは軍隊、司法部門、政府部門などにも広がった。不正腐敗が普遍的現象となり、それが党及び政府の執政能力を弱め、「真の改革の力」を削いでいった。(これを西側諸国の「和平演変」策によるというのはお門違いだ。西側先進諸国にこのような現象は存在しない。)
次に市場万能論の影響による政策的ミスが挙げられる。計画経済の仕組みを市場経済の仕組みに変えていったのは正しかった。商品ばかりでなく、生産要素の市場化を進めたのも必然の成り行きであった。しかし、本来、半市場経済分野であるべき教育、医療、土地制度分野において、無原則的に市場経済化が進められたことは間違っていた。教育、医療は国民の基本的生活権に関わるもので、市場原理に任せられるものではない。もちろん、経済効率を考えるべきで、市場原理の一定限度の導入は必要である。問題は、中国過去10年の改革では、その限度を越えてしまったのである。
国務院発展研究中心社会発展研究部は、昨年7月28日、「医療衛生体制改革の報告」を提出し、「改革開放以来、中国の医療衛生体制改革は一定の進展を見たが、暴露された問題はよりひどく、全般的に言って、改革は成功しなかった」と結論付けた。医療衛生改革は「市場化を導き手とする改革」を行った結果、基本的に失敗したのである。温家宝総理もこの厳しい結果を認めざるを得なかった。教育改革、土地・住宅改革も問題が多く、今年の全人代では、農民や労働者など弱者が「学校に入れない、病気を見られない、家に住めない」が論議の中心となった。
他方、市場経済化の結果として、二極分化が進む。つまり勝ち組と負け組みが生まれる。税制の不備もあって、一部高所得者(企業家、一部役人、大学教授など)は急激に財産を増やし、他方、農民、出稼ぎ民工、リストラ労働者などは貧困を強いられ、貧富の格差は資本主義国よりもひどいものとなった。日本で一時問題となった過疎問題も、中国において急速に広がっていった。都市と農村の格差拡大、沿海地域と内陸部の格差拡大はひどくなるばかりである。こうして、経済格差は政治問題にまで発展し、中国国内の社会的矛盾も激化していった。その結果、悪平等であった毛沢東時代へのノスタルジア現象が出るほどとなった。これが、「社改派」を勢い付かせ、新自由主義批判のキャンペーンが急激に広がっていく社会的基盤となったのである。 
第三に政治改革の立ち遅れと米国覇権主義への警戒感がある。中国の社会的矛盾の激化は、経済的要因と政治的要因の両方によるものである。都市開発に伴う住民の強制転居、土地開発に伴う農民の土地徴収、リストラに伴う労働者解雇などにおいて、市民や農民など弱者の権益が常に侵される。それは政治改革の立ち遅れにより、憲法で保障された国民の権利が保障されていないからである。当局は今、党の指導性堅持、人民民主、憲法遵守三結合の政治改革に取り組もうとしているが、国内外に西側先進国の議会制度を取り入れるべきだという勢力もかなり強くある。
こうした中で、「社改派」と呼ばれる論者は、中国がソ連・東欧の二の舞を踏むのではないかと強い警戒心を抱く。それゆえ、経済面での新自由主義の影響即アメリカによる「和平演変」と結び付ける。本来、経済理論の論争であるべきものが、瞬く間に政治問題化するのは、このような背景があるからである。
第四に「姓資姓社」の論争が長期にわたって封じ込められたことがある。共産党は理論の党である。政策策定に当たっては、マルクス主義理論に合うかどうかが問われる。旧ソ連も中国もマルクス主義理論に基づいて計画経済を実行したのだが、うまくいかなかった。そこで鄧小平は「社会的実践第一、理論的裏付けはその後で」という現実主義的方針をとって、改革開放政策を推進した。その結果、さまざまの資本主義的現象が出て、「社改派」から批判の声が上がった。それに対し鄧小平は、抽象的な社会主義か資本主義かの論議をするな、経済の発展が第一という号令をかけた。1992年のことである。
それ以来、社会主義は語られなくなり、社会主義市場経済の社会主義は枕詞に過ぎなくなった。市場経済化のみに関心が払われ、現代資本主義国よりも資本主義的な国になってしまったのである。現代資本主義国では、共産党、社会党の政治活動及び有識者の意見などによって、社会主義理念(社会保障政策など)が国民の間にかなり浸透している。そのため、初期資本主義とは全く異なった様相を呈するようになった。ところが、中国では論争が封じられてしまったため、市場万能論に対して異議申し立てをすることができず、「社改派」論者はじっと時期を待つほかはなかった。こうした中で、後述するように、胡錦濤がマルクス主義理論建設を提起したために、「とき至れり」と一斉に声を上げたのである。
B 国際情勢
国際的要因としては、米国が推進してきた単独行動主義と新自由主義経済政策が世界的政治経済矛盾を激化させ、それへの反省が世界的に強くなっていることがある。
先ず米国の単独行動主義が行き詰まり、調整を余儀なくされている。現在世界範囲で経済のグローバル化が進んでいるが、それは米国主導のワシントンコンセンサスによるものだ。そして、それをバックアップしているのは、唯一の超大国アメリカの軍事力である。2003年、米国は国連を無視してイラクへの軍事行動を起こし、世界は一大危機を感じ取った。
イラクへの侵攻は軍事的にはスムーズにいったが、秩序回復は思うようには行かず、現在、米国は「進退両難」の羽目に陥っている。つまり米国の単独行動主義は壁に突き当たり、舵取りを国際協調の方向に調整せざるを得なくなった。こうした背景の下、ワシントンコンセンサスの影響力は相対的に低下しつつある。とりわけ中国、インド、ブラジル、ロシアなどBRICS国家の台頭によって、北京コンセンサスが語られるほどである。
次にグローバル化反対の市民運動が世界的に展開されている。世界経済のグローバル化は、経済発展の均衡化と人間の国際的交流を促し、人類の発展に寄与する面がある。しかし他方で、多国籍企業の利潤追求による環境破壊、貧富の格差拡大などマイナス面もある。生産、販売、投資の決定が国境を無視して行われるため、それは一国の文化、慣習、伝統を呑み込んで全てを均質化する傾向を持ち、貧富の格差を広げると同時に、社会を不安定にする危険を孕んでいるのである。とりわけ新自由主義に基づく経済のグローバル化は負の面を突出させる。そのため、ここ数年、労働組合、環境保護団体、人権擁護団体によるグローバル化反対運動が広がっている。例えば、先進国サミット会議やWTO会議は、米国のシアトル、イタリアのジェノバ、香港で見られたごとく、常にデモ抗議行動に遭い、治安対策が重要な課題となる。「社改派」は総じて中国のWTO加盟に反対または慎重であり、世界のこのような動きを重視する。
第三にロシア・東欧の新自由主義政策失敗がある。1990年代初めの旧ソ連崩壊後、ロシアは米国の新自由主義政策を取り入れて失敗し、マイナス成長が6―7年続き、経済は約40%もダウンした。2000年5月にプーチン政権が誕生してからは政府の役割を強化し、マイナス成長がプラス成長に転換し始めたロシア経済の回復を加速化させた。過去7年間約6%の成長を達成し、ソ連崩壊前のレベルに達するに至った。時間的には約15年の後れを取った。またエリツィン政権のとき、親EU、親米国の外交政策をとったが、結局、西側世界に受け入れられることはなく、逆に、NATOの東への拡大や中央アジア旧ソ連構成国での米国の影響力拡大などによって、安全保障面での圧力を受けることとなった。
  旧ソ連崩壊の教訓が中国有識者に大きな影響を与えてきたが、最近、「反共学者ジノビエフの中国への警告」が「社改派」学者の間で大きな話題となっている。ロシアの哲学者アレキサンダー・ジノビエフは共産主義制度とソ連社会を批判し、ソ連共産党から除名され、海外へ強制出国させられた。1978年からドイツのミュンヘンに住み着き、西側諸国の要請に基づき対ソ連崩壊工作に手を貸した。ソ連崩壊後、彼は祖国ロシアに帰り、その悲惨な姿に心を痛め、自分の行為を深く恥じ、「二度とわが国家と人民を亡ぼした陣営に身を置くことはできない」と反省する。そして「西側諸国はユーゴスラビアを亡ぼし、ロシアを徹底的に打ち亡ぼした後は、中国をやっつけるであろう」と警告を発したとのことだ。(「向往」05年10-11月号、P32)
第四にラテンアメリカの新自由主義失敗と政権の「左傾化」現象がある。1994年のメキシコ金融危機による落ち込みを除いて、90年代のラテンアメリカ経済は総じて安定的成長を遂げてきた。このラテンアメリカの経済的「成功」は、80年代前半の債務危機以降、IMF・国際資本のイニシアチブの下で新自由主義経済を本格的に導入して達成された。そのため、新自由主義の勝利として、またモデルケースとして喧伝されることとなった。
ラテンアメリカ諸国は80年代後半以降、今までの国家主導による輸入代替工業化開発戦略とそれに伴う保護政策を最終的に放棄し、アジアNIESにまねて、市場メカニズムに立脚した輸出指向型工業化戦略を採用した。そして、それに伴う国内政策を次々と変えていった。即ち、輸入関税、輸入数量制限、為替の過大評価等の保護貿易政策を撤廃し、資本の自由化、民営化、規制撤廃等の企業の自由な活動を保障する政策を採用した。同時に、価格の自由化、補助金削減、政府機能の縮小、社会サービスの切り捨て等の厳しい総需要抑制策と財政安定化政策を実行した。そして、労働市場の自由化、農地市場の自由化も行っていったのである。
 こうした新自由主義政策の実施は、ラテンアメリカの経済構造を国際資本とその国際市場により深く従属したものに変えたばかりでなく、更に社会構造や政治構造をも急激に変化させることとなった。そして、経済は発展したけれども貧富の格差は解消されず、しかも国民の生活様式が大きく脅かされることとなったのである。その結果、近年、ラテンアメリカで次々に反米政権が誕生し、「左傾化」現象が起こっている。最近中国において、中国がラテンアメリカ化しないか、経済は発展したけれども政情が悪化し、体制の危機を招かないか、という問題が提起されるようになった。
即ち、以上四方面の国際的動向が、「社改派」学者を勇気付けさせ、新自由主義批判キャンペーンを盛り上げる要因となったのである。   (2006年4月29日完了)

四 批判への反批判
 前述した如く、主流派経済学者の多くは反論せず、当局の態度を見るという姿勢をとっていた。ただ深圳新世紀文明研究会会長徐景安氏は、1月から2月にかけて、劉国光氏論文への本格的反論を書いた。それはかなり説得力のあるもので、言葉使いは遠慮のない厳しいものだ。ここで少し詳しく紹介したいが、その前に徐景安とはいかなる人物かを簡単に紹介する。
 徐氏は大学卒業後、1964年に設立された中共中央マルクス主義研究院に配属された。文化大革命中に研究院が廃止され、国務院で研究に従事するようになる。改革開放後は国務院体制改革弁公室に籍を置き、張勁夫氏の下で「経済管理体制改革全体構想に関する初歩的意見」(1979年12月)の起草に参加した。これは陳雲の指導する国務院財政経済委員会の指導の下で作成されたもので、陳雲の目標とするモデル「計画調節を主とし、市場調節を補とする」が提起された。1987年に北京を離れ、深圳の改革に従事することとなり、深圳証券取引所副理事長を勤めた。最近は「精神的健康問題」の研究に力を注いでいる。現在中国で自殺率が急上昇し、年に28万人の自殺者と200万人の自殺未遂者が出ているが、それによって精神的障害を受ける身内の者は1700万人に及ぶとし、精神障害ケア施設の設置を提唱している。このように、徐氏は実に豊富な経歴の持ち主で、「東」(マルクス主義経済学)と「西」(西方経済学)の両方に通じている老研究者であることが分かる。
徐氏反論のテーマは「劉国光は窓紙を突き破った」である。窓紙とは中国北方の農村で使われているもので、ここでは鄧小平によって封じられた「姓資姓社」(改革の性質は資本主義化か社会主義化か)論争中止令を指す。劉論文はこの中止令を突き破った、大いに議論しよう、と徐氏は構える。劉論文は「一体、マルクス主義経済学が導き手か、西方経済学が導き手かと問題提起しているが、これは経済学の範疇を超えており」「改革の性格について、一体、姓資か姓社かを問うている」とし、「現在の改革の性格について、水面下では議論され、皆それぞれの見方を持っているが、鄧小平同志の『石を探りながら河を渡る』『理論的論争は行わない』という方針の下、公にはお互い控えてきたが、今や、国光同志が遂にこの窓紙を突き破った、これは正しいことだし、素晴らしいことだ、理論的整理、理論的思考、理論的総括をする時がやってきた」と言うのだ。
 そして党中央に次のように呼びかける。「来年開かれる第17回党大会では重要な選択を求められる。一つは伝統的社会主義に戻る、二つ目は今まで通り西側諸国の現代化を目標にして引き続き前進する、三つ目は創新して新しい現代化の道を模索する、である。党中央は国光同志の提起した問題について、理論界を動員・組織して、よく議論させるよう提案したい。理論や思想面で、これ以上『折衷主義』『議論回避』で済ませるわけにはいかなくなった」と。
徐氏は反論の目録として、次の14項目を挙げている。「(1)中国の改革は姓『社』、それとも姓『資』か?(2)中国の改革の全体的評価は肯定的か、それとも否定的か?(3)中国改革の出口はどこか?(4)社会主義市場経済とはどういうものなのか?(5)『反右防左』すべきか、それとも『反左防右』すべきか?(6)新自由主義経済学の核心理論は糟か?(7)イデオロギーは変化したか、変化できるか、いかに変化するか?(8)われわれはどの段階から歩んできたか、今どの段階にあるか、どの段階に進むのか?(9)今日の中国人は経済人であるか?(10)人間の本性は私利私欲か、それとも「大公無私」か?(11)新価値観は『人間本位』か、それとも『モノ本位』か?(12)新道徳観は『個人本位』か、それとも『集団本位』か?(13)科学的発展観とはどういう内容か?(14)マルクス主義をいかに創新(イノベーション)するか?」これら反論項目から分かることは、かなり深く切り込んだ問題意識を持っていることである。
しかし、徐氏の反論は1月20日から24日にかけて四回ネットで発表されたが、その後はストップ状態となってしまった。多分、当局の論争抑制に応じたものであろう。公表された四つの反論見出しは「中国の改革は姓社、それとも姓資か」「中国改革の出口はマルクス主義の創新にある」「『反右防左』か、それとも『反左防右』か」「新自由主義の経済学の核心理論はすべて糟か」である。この四論文だけでは、多分、徐氏の意を尽くしているとは言えないであろうが、大体の観点は知ることができる。次の四点にまとめて紹介したい。
1 劉論文の政治性と「反右防左」論を厳しく批判
徐氏は、劉論文を見て「私はびっくりした、政治性が強いこと、火薬の匂いが濃いこと、観点の先鋭なこと、一人の学者の語気とは思えない」と厳しく批判する。更に、劉国光氏が「時代と共に発展するマルクス主義」に賛成であるならば、自らの「研究成果を公にして中国の発展と改革を導くべきで、政治闘争の手法をとって、文革の言語を弄し、相手を徹底的に打ち倒そうとして、反マルクス主義、反社会主義の罪名をかぶせるのは全く必要ないことだ」「劉氏の談話は文革式の大字報であり、少しも学術的匂いがしない」と文革に結び付けて痛烈に批判する。
また「反右防左」論に対しては、まず何が「右」で何が「左」かを論じ、現在もなお「反左防右」であるべきだと、劉国光氏と真っ向から対決する。「毛沢東の『政治を本位とする』『階級闘争を要とする』は左、鄧小平の『物質を本位とする』『経済を中心とする』は右、右は左よりもよい。計画経済は左、市場経済は右、伝統的社会主義は左、西方型現代化は右、これも右が左よりもよい。中国が社会主義市場経済の道を歩んだのは歴史的進歩である。現在、国光同志が大声で右傾反対を叫ぶのは歴史的後退ではなかろうか」と問い、「当面の主要な危険は右ではなく、やはり左であり、空論を吐き、大言を口にし、マルクス主義を空言するのは、真に時代と共に進むマルクス主義の創新・発展ではない」と批判する。
劉氏の談話論文が社会から「大歓迎」を受けたことについては、中国の改革は「社会主義と西方現代化との結合で、困難に満ち複雑である。計画経済の積弊に加え、市場経済にはもともと欠陥がある」と述べ、「現在、改革反対の風潮があり、『改革はよくない』が流行となっている。国光同志が声高に改革への疑義談話を発表すれば、当然、大きな反響を呼ぶ、」本来、「国光同志は重みのある研究報告を出して、改革を総括し、改革の将来を指し示すべきだのに、思いがけないことに、右傾反対闘争を呼びかける」とその姿勢を批判する。
徐氏の以上の反論は筆者も全く同感であり、多くの中国有識者の共鳴を得たことだろう。
 2 新自由主義の核心理論を限定的に弁護
 劉氏が批判している新自由主義経済学の核心理論四点について、限定的ではあるが弁護する。
先ず「経済人」仮説については、市場原理の導入を認める以上、経済人仮説は当然のことで「市場交換理論は人間の私欲を前提としており」「人間の本性を大公無私とするならば、市場メカニズムを導入する必要はない」とし、「国光同志が一方で中国改革の市場志向に賛成し、他方で私利私欲の動機と本性に反対する」のは矛盾していると批判する。そして、中国人がかつての「政治人」から「経済人」に変わったことは一つの進歩だと見る。但し「経済人」が「理想人」というわけではなく、「『経済人』には克服できない欠陥があり、人間性の反映面でも偏向性がある。」「経済人」から「生態人」に進むべきだと主張する。
 次に私有制問題については、「私有制が公有制よりも効率的であることは、世界の経験が立証している、だからこそ統一的公有制を多種所有制に改革し、国有経済を競争分野から撤退させ、私有経済の発展を奨励したのである」と私有制効率的の仮説を肯定する。その上で「私的経済の力の及ばない、或いは公共利益を保証できない分野では政府の投資、運営、管理を必要とする」とし、「中国の将来において、すべてが私有化することは有り得ないが、私有制効率的の理論が覆されるものではない」と弁護する。私有制は永遠かどうかについては、「少なくとも予想し得る将来において、私有制が取り消されることはない」と断言する。
第三に完全競争と完全情報の仮説については、「市場制度構築の目標と方向であり」、確かに完全情報の仮説は不可能で、情報の不平等が存在する。しかし、だからと言ってこの仮説が間違っていると言うのは可笑しい。「人と人との完全平等は不可能である、しかし平等の仮説が間違っているとは言えない」ように、完全情報の仮説を否定することはできないと反論する。また、「中国の現状は、独占の現象がまだ甚だ多く、競争が不十分である。情報の提供も制度化されておらず、多くのブラックボックスが存在する。」完全には達し得ないが「完全競争と完全情報の目標に向けて努力すべきだ」と現実的意義を強調する。
第四に「政府の役割最小の仮説は,西方人文主義精神の政治分野への延長線にあり、中国にとっての現実的意義は、政治理念面での革新、即ち政府は先天的に人民の利益を代表するとは信じないで、逆に、必然的に人民の利益を犯すと認識することにある」と言う。
 そして最後の結論として「新自由主義経済学の核心理論は中国の市場経済化改革に有意義であり、国光同志が『いろいろ中国の国情に合わず、当然、中国に適用できない』と言うようなものではない」と反論する。しかし、「新自由主義経済学の描く『純粋市場経済』はわれわれの目標ではなく」「社会主義市場経済の新モデルを構築しなくてはならない」と劉氏に同調する。即ち、新自由主義は、問題はあるが、完全否定すべきではない、というのである。
 3 マルクス主義の「創新」ではなく「防衛論」と批判
 徐氏は現在の新自由主義批判は、マルクス主義の創新ではなく、伝統的マルクス主義観の防衛に止まっていると批判する。
「マルクス主義を堅持するには、マルクス主義を創新しなくてはならない。即ち、それはイデオロギーを改革、創新、発展させることである。」ところが「国光同志は、一方では、中国に適合したものは、必ず時代と共に進み絶えず創新されるマルクス主義経済学であると言うが」「他方では、イデオロギー改革をたいへん恐れており、とりわけ経済学分野のイデオロギー変革に反対する」とその矛盾をつく。
 そして「国光同志は非マルクス主義思潮の氾濫を恐れるためか、イデオロギー改革を非常に忌み嫌っているが、そうすると次の三つの問題に直面する」と指摘する。即ち:(1)「イデオロギーの改革を前提としない場合、マルクス主義の創新はスローガンに過ぎない空論となってしまう。」「それは過去25年間、マルクス主義の創新が何もなかったように。」(2)「マルクス主義の創新には必ず他人及び他類の先進的思想を吸収しなければならないが、それには非マルクス主義の学説も含まれる。(国光同志のように)それに恐れ慄き、『ブルジョア自由化』と鞭を打つような精神状態で、どうしてマルクス主義を創新できようか。」(3)「マルクス主義を創新したか、それとも背反したかは誰が裁断するのか。イデオロギー改革を提唱しなければ、マルクス主義を創新しても、マルクス主義に背反したと否定されてしまう。」
以上の論を踏まえて、徐氏は「国光同志はマルクス主義の創新を強調しているが、実際にはマルクスの言葉で是非を下しており、(マルクス主義を)防衛しているだけだ」「創新は名ばかりで、教条回帰が実である」と批判する。そして、「私も西方型現代化は中国の未来選択とは思わないが、国光同志のように憤激して棍棒で殴るやり方には賛成できない」と自らの立場を説明する。そして中国の「経済領域での改革開放成功は、正にイデオロギー改革であったし、マルクス主義の創新であった」とし、徐氏自身のマルクス主義創新の基本理念を次のように提示する。
4 政治本位、経済本位から人間本位へ
徐氏は「伝統的社会主義は、中国の選択すべきものではないことが歴史によって立証された。西方式現代化は、中国が補う必要がある授業であったし」「現在の経済分野における西方化傾向、即ち西方現代化を学んだことは、正しく且つ避けられないもので、歴史の進歩であった」と肯定する。その上で「西方工業文明は少数が富裕、多数が貧困である上に打ち立てられており、もし多数が少数の富裕者のように生活するとなると、人類文明は崩壊してしまう」したがって「中国の未来ではない」と西方工業化の道を否定する。
そして「新しい現代化の道、真の持続可能な発展の道」を模索する必要があるとして、自らの研究と成果を次のように紹介する。「5年の研究を経て、1年の執筆によって『あなたの選択と中国の未来』を書き上げ、人と自然、人と人、人と自我との関係など九原則を提起した。その中で提起された和諧社会の理念はすでに(中央に)受け入れられた。私はまた『人を以って本と為す』『全面的小康』『和諧社会』理論の大旗幟を掲げ、中国的特色のある現代化の道を歩むべき――第17回党大会報告建議書――を中央に提出した。私が行っている事こそは、マルクス主義創新の研究である。」
当代中国の歴史的位置付けについては、解放後中国を毛沢東時代の政治本位、鄧小平(江沢民)時代の経済本位、胡錦濤時代の人間本位の三段階に分け、来年開かれる第17回党大会の歴史的重要性を強調する。「鄧小平同志はわれわれを率いて、成功裏に政治本位から物質本位への転換、計画経済から市場経済への転換、農業文明から工業文明への転換を成し遂げた。胡錦濤を首とする党中央は新たな偉大な転換点に直面している。即ち物質本位から人間本位へ、西方式現代化から和諧を核心とする全面的小康へ、持続不可能な現代文明から持続可能な人類新文明へ転換することである」と。そして、「全党はこの新転換点を認識しておらず、イデオロギー分野のスローガンは政治本位時代に留まっており、経済分野のスローガンは物質本位時代に留まっている」と暗に劉氏らを批判する。
最後に、「中国の出口は創新にあり、伝統的社会主義を超越すると同時に、西方式現代化を超越することにあり、東方文明を継承すると同時に、西方文明も吸収しなくてはならない」とし、「胡錦濤を首とする党中央に課された歴史的責任は、鄧小平理論を踏まえてマルクス主義を創新することであり、東西文明を踏まえて人類の新文明を再創造することにある」と胡錦濤・温家宝体制に大きな期待をかける。

五 当局の思惑と対応
過去20数年間の改革は新自由主義の影響を受け、格差拡大など多くの社会的矛盾を引き起こした。そこで当局は社会主義理念への回帰を打ち出そうとしているが、それにはマルクス主義の発展、創新が不可欠である。そこで胡錦濤が政権の座に着くと、早速、マルクス主義理論研究・建設工程を発表し、同時に中国社会科学院にマルクス主義研究院を設立させた。こうした動きが背景となって、「姓資性社」の理論闘争が再燃したが、これは当面の安定を脅かすとして当局は抑制の命を下した。この経緯を省みて、以下に当局の思惑と対応を検証する。
 1胡錦濤が理論の再構築を提起
2004年1月、中国当局は「哲学社会科学をより一層繁栄・発展させることについての意見」を策定した。(公表は「人民日報」04年3月21日)その中には、「中国的特色のある社会主義の建設は、マルクス主義を導き手とする哲学社会科学の繁栄と発展と切り離せず」「マルクス主義の指導的地位を堅持しなくてはならない」「絶対に指導思想の多元化を進めてはならない」と述べられ、「マルクス主義理論研究・建設工程」が提起された。
そして4月27日、胡錦濤は「研究・建設工程」会議に出席した200人余りの理論研究者及び幹部に「発展するマルクス主義で新しい実践を指導し、実践の中で絶えずマルクス主義を豊富にし、発展させる」よう求めた。この理論研究・建設工程は、来年開かれる第17回党大会に向けての理論的準備と言われ、今、急ピッチで進められている。それは過去10年間、市場経済化のみが強調され、社会主義理念が忘れられたことへの反省に立ち、胡錦濤・温家宝体制がマルクス主義と社会主義理念への回帰を目指していると見ることができる。即ち社会主義論と市場経済論との均衡を図ろうとしているのである。
5月28日、中央政治局第13回「集団学習」が開かれ、胡錦濤は「当代に立脚すると同時に伝統をも継承する、中国に立脚すると同時に外国にも学び、学術観点の創新、学科体系の創新、科学研究方法の創新を大いに推進し、中国的特色、中国的風格、中国的気迫のある哲学社会科学建設に努力するよう」求めた。
約一年後の2005年5月19日、胡錦濤は中国社会科学院の指導者に対して「次の二点が基本だ、一つは揺るぎなくマルクス主義の基本原理を堅持し、正しい政治方向を堅持すること、もう一つは思想解放、実事求是、時代と共に前進を堅持し、理論の創新を積極的に推進すること」と語った。(「中国社会科学院院報」05年6月2日)
また、中国社会科学院院長陳奎元は就任以来、事あるごとにマルクス主義の指導的地位確保を強調してきたが、それには胡錦濤の言い回しを超える政治的含意が伺える。例えば、04年7月、中国社会科学院2004年党工作会議での講話で「現在、経済建設が中心だが、経済が発展したら、それに応じて社会主義が前進するというわけではない。経済が発展しても、別の方向に進んでしまう可能性がある」現在「『左』の観念は大きな市場がなく、重大な問題は四つの基本原則を軽視し、引いては党の指導や社会主義に公然と反対する言論が各種出版物に見られることだ」と警告を発した。
2005年8月21日、陳院長は更にトーンを上げ、「鄧小平の一生と思想研究会」での席上で「四つの基本原則の旗幟を高く掲げ、ブルジョア自由化に断固反対し、人々は中国が資本主義に変わってしまう違憲性を警戒し、西方新自由主義理論をそのまま持ち込もうとする危険性に警戒すべきだ」と発言した。劉国光談話論文では、陳院長も現在はすでに「反右防左」のときだと見ているとのことだ。劉国光論文は陳院長の意を汲んだものと見ることもできよう。
2 マルクス主義研究院の設立
2005年12月、中国社会科学院のマルクス・レーニン主義研究所がマルクス主義研究院に昇格することが決まった。もちろんこれはマルクス主義の再生を図る胡錦濤の肝いりによるもので、長期的視点に立って、胡錦濤体制及びそれ以後の方向性を保障しようとするものである。
中国社会科学院マルクス主義研究院常務副院長程恩富教授が、12月24日に開かれた「偉大な導師毛沢東生誕112周年『旗幟ネットの友』学習交流聯誼会」で、「毛沢東時代の経済業績についての概略を論ず」と題して発言し、その冒頭で、中国社会科学院マルクス主義研究院設立について語った。それによると、中国社会科学院が05年5月に中央政治局常務委員会に今後の改革と創新について報告した際、最初に取り上げた項目がマルクス主義研究院の立ち上げであった。中央はそれに同意し、定員200名が決まり、まず4年くらいの内に150名を揃えることとなったとのことだ。研究院は既存のマルクス・レーニン主義研究所を拡充するという形を取るため、現在の研究スタッフ50名余りはそのまま移行する。したがって、4年以内に100名の研究者を増やすことになる。研究院は毛沢東の誕生日12月26日に設立された。
程氏によると、研究所は今まで主として科学的社会主義が研究され、研究スタッフもそれに偏っていて、マルクス主義哲学の研究者は少なく、マルクス主義経済学に至っては研究者がいなかったとのこと。今後はこれら弱体、空白部分の研究も強化され、研究院は次の五研究部門が設けられる。第一研究部はマルクス主義原理、第二研究部は中国マルクス主義研究一部(主として毛沢東思想の研究)、第三研究部は中国マルクス主義研究二部(科学的発展観、党建設と政策、文化と哲学、国際戦略などの研究室を置く)、第四研究部は国際共産主義運動史、第五研究部は、当代世界社会主義である。中国社会科学院常務副院長冷溶氏が研究院長を兼任し、程恩富氏が上海財経大学から中国社会科学院に転任し、常務副院長として研究院の実質的運営にたずさわる。そして、そのほかの3人が加わった五人の研究院指導グループで、研究院全体が運営される。(「向往」05年12月号P60)
3 四つの流れへの対応
中国経済の健全なる発展のためには、現在取り組んでいる理論的指導理念も含めての偏向是正が不可欠だが、懸念すべき思想的流れに慎重に対応していく必要がある。現在、中国には大きく分けて次の四つの思想的流れがあると言える。
一つは計画経済肯定派で、資本主義化推進の改革開放政策は失敗に帰し、基本的に元に戻るべきだという意見である。労働者、農民など弱者の共鳴を得て、最近、意気盛んである。二つ目は体制内社会主義重視派で、市場経済化は正しかったが、社会主義理念を忘れてしまったところに問題があり、両者の正しい関係を打ちたてよと主張する。劉国光氏に代表される。三つ目は体制内市場経済重視派で、市場経済化を更に推進すれば、経済は発展し、不正腐敗も解決され、社会主義が実現すると言う。四つ目は、マルクス主義は根本から間違っており、それを放棄し、新自由主義経済に基づき市場原理を徹底させるべきだと主張する。ここ数年、体制内市場経済重視派が、新自由主義経済に大きく傾斜したところに問題があった。
ところがここ半年間、マルクス主義の再生を図る当局の努力の下、体制内社会主義重視派が伝統的社会主義派(計画経済肯定派)と結びつき、体制内市場経済重視派と新自由主義経済派を激しく攻撃することとなった。こうして党内の「姓資姓社」論争が再燃する形勢が醸成されたのである。
胡錦濤を首班とする党中央は、体制内二派によって議論が展開され、逐次統一されていくことを望んでいたのであろうから、第一の「左翼」からの妨害と第四の「右翼」からの妨害をいかに防いでいくかが重要な課題となった。そこで今年に入って、当局は論争抑制の措置を強化し、3月には殆ど禁止にまで持ち込んだ。
4 論争抑制を漸次強化
香港の雑誌「争鳴」06年4月号によると、当局は四回にわたって論争の抑制措置をとったとのことである。
第一回目は昨年11月中旬で、国家発展改革委員会主任馬凱が国務院研究室で「改革と発展シンポジウム」を開き、「改革の具体的政策についてはその実施と効果について討論するのは有益だが、討論を社会化・政治化し、国全体の段取りに影響を与えるようなことがあってはならない」とたいへん限られた範囲内で論争抑制の意を示した。
第二回目は今年1月で、呉儀副総理が局長クラス幹部と理論家たち80名余りに、中央の改革論議への意見として次の四点を指摘した。「(1)改革は中央の既定方針で、実践によって正しかったことが検証されている。(2)改革の過程で起こった問題や過失は、主として改革と発展の法則性を掌握していなかったからで、改革の基本的方向に問題があったわけではない。(3)問題と過失は主として総括と反省によって正し、改革派vs反改革派に分けるべきではない。(4)人為的な派閥活動に警戒するように。」
第三回目は春節後(2月)で、曾慶紅国家副主席が、改革の方向、政策、措置について異なった見方があるのは正常だが、政治次元にまで引き上げてはならないし、論争を名目に派閥を形成するようなことがあってはならないと語った。
第四回目は3月初めで、胡錦濤主席が次のように語ったとされる。「すでに定論となっている路線や方針について際限なき論争を展開するのは有害無益だ。党内での改革論議はすでに境界線を越え、攻撃と闘争に変わりつつある。中央の態度は一貫している。改革の方向に揺るぎはない。但し、総括と反省は必要で、正反両面から教訓を汲み取る必要がある。」
5 過渡期後期での「一時的後退」
当局によって取られた論議停止措置は、15年前の鄧小平の時のように長期的なものとなるであろうか。多分、そうはならないし、「一時的後退」を経て理性的論争に進むであろう。
胡錦濤の市場原理主義偏向是正は、本来、政治的改革も含まれた漸進的転換プロセスである。胡錦濤は鄧小平のようなカリスマ性がないし、また時代的特徴から言って民主的方法を取らざるを得ない。そのため、時には反復も避けられない。国内外の有識者は胡錦濤体制への期待値が高いため、後退現象には極めて厳しい目が向けられがちである。しかし、実際にはこの三年間余り、改革深化と偏向是正は着実に推し進められ、明らかに成果を上げている。それは今後5年、10年のスパンで見れば、よりはっきりした形となるであろう。
 胡錦濤政権第一期の過渡期は大体次の三段階に分けることができ、今回の全人代は第二段階から第三段階に入る転換点と位置づけることができる。
(1)過渡期前期(02年11月第16回党大会で総書記就任から04年9月の4中全会まで):この期間は江沢民が軍事委員会主席の地位にあり、胡錦濤は完全には実権を掌握していなかった。とは言え、憲法遵守の政治改革志向、三つの接近政策(実際、大衆、生活に接近)、全面的均衡的持続的発展、平和台頭論などを提起し、胡錦濤カラーを出していった。しかしさまざまな抵抗に遭って、政治改革などでは停滞・後退を余儀なくされた。
(2)過渡期中期(04年4中全会での軍事委員会主席就任から06年3月の全人代まで):胡錦濤は党政軍の三権を掌握したが、それは形だけで、真に掌握するには漸進的プロセスを必要とした。この間、党の執政能力強化、民を以って本となす、科学的発展観、和諧社会、和諧世界など一連のコンセプトを提起し、胡錦濤カラーを一層強め、胡耀邦の名誉回復も行って自らの指導体制を確立していった。そのプロセスでは一定の抵抗があり、決して生易しいものではなかった。
(3)過渡期後期(06年全人代から来年秋の第17回大会まで):胡錦濤が名実共に実権を掌握し、第17回党大会の成功を期して積極的に準備をする時期である。今後、理論的偏向の是正、人事面での制度遵守、科学的発展観と和諧社会論の貫徹等により、ますます胡錦濤体制が強化されていこう。それは胡耀邦精神の復活という方向で進められる可能性が高い。

六 論争の在り方と今後の展望
 以上の中国における現状を踏まえて、中国式社会主義建設問題を巡る論争の在り方と今後の展望について、私見を述べてみたい。
 先ず論争はやらせるべきで、封じるべきではない。但し、階級闘争論に基づく「権力志向論争」から和諧社会論に基づく「建設志向論争」に転換させなくてはならない。
 現在、中国において、幹部も党員も一体社会主義とは何かについてはっきりした認識を持つ者はたいへん少ない。例えその認識を持つとしてもばらばらである。原因は党としての統一的見解が矛盾に満ちていて、説得力に欠けるからである。15年間の論争回避の付けは大きい。
現在の中国社会の矛盾、混乱は、理論的矛盾、混乱から起きているとも言える。例えば社会主義理念が形骸化し、市場経済論が一人歩きして新自由主義論が横行する背景には、人間疎外論を20数年にわたって禁じてきたことも重要な原因の一つとしてある。
商品経済、市場経済には、商品の物神性、その発展形態としての拝金主義がつき物であり、人間が疎外される。ところが、1980年代初めに、中国は社会主義国だから疎外問題は存在しない、中国での疎外問題を主張するのは社会主義を否定するものだとして批判され、疎外問題論議は禁じられ今に至る。
人間疎外問題を否定することは、商品の物神性、拝金主義を是とすることに成りがちで、市場経済化によって進む二極分化、拝金主義への対策を軽視することになり、当然のことながら、それへの後れをとることになる。現在中国が直面している現代資本主義国よりも資本主義化している現状は、このような理論的怠慢・過失によってもたらされたと言っても過言ではない。
但し、改革論議が権力志向と結び付き、対立的なものとなれば、社会全体は不安定化し、和諧社会建設の平和的環境が崩される。したがって、当局が論争中止措置をとったのは暫定的措置としては理解できる。しかし、建設的論争は禁じてはならず、それへの誘導も含めて、適当な対策・対応が待たれる。
次に当局は社会主義理論再構築を民主社会主義論としてはっきり方向性を示すべきである。私見では、民主社会主義理念には(1)今までの社会主義を専制的社会主義であったことを認め、民主社会主義への漸進的移行を示す、(2)経済の仕組みは社会主義市場経済で、市場経済を大いに発展させるが、それによってもたらされる二極分化は、社会主義的政策によって防止または最小化される、(3)政治の仕組みは党の指導性確保、人民民主、法律遵守の三結合で、徐々に形成されていく、(4)価値観は個人の利益と社会の公益を有機的に結合させたもので、社会的公益優位の原則を堅持する、(5)社会的仕組みは、個人、家庭、地域社会を結合させ、「社区コミュニティー」に基点を置く、などの内容が含まれる。
民主社会主義と社会民主主義とは基本的に同じだが、前者は専制的社会主義から平和的に社会主義に移行していく点及び共産党の指導性を確保するという点で、議会政治の下で資本主義から社会主義へ平和的に移行する後者とは異なる。
現在、中国において民主社会主義初級段階のみが示され、中級段階、高級段階は殆ど提示されていない。現在先進国が直面している問題を参考にし、世界有識者の智慧を結集すれば、中国式社会主義未来像の概略を示しうるはずだ。そうすれば、中国国民の未来への自信が高まり、海外での「中国脅威論」も大いに緩和されるであろう。
国際関係においては、過渡期としての「国際社会資本主義」を想定すべきだ。今後、かなり長い期間にわたって、国際社会は米国を主とする先進資本主義国によって主導される。その各先進国は一国社会資本主義、即ち一国範囲内で社会主義要素を取り入れた資本主義である。日本はその典型の一つであると言える。現在東アジアが目指している共同体は、一国社会資本主義を国際化したモデルであるべきだ。
第三に当面注意すべき問題として、次の六点を指摘したい。
(1)政治化すべきでない経済理論体系の相違。
マルクス主義経済学体系と近代経済学体系とは水と油の関係にあるとされてきた。しかし実際には理論的交流は避けられず、両者の結合はかなり進んでいる。それを対立させる今までの社会主義国の手法は、学術問題を政治化させ、理論の発展を妨げてきた。現在の中国には、その後遺症がまだ強く残っている。更に、マルクス経済学にしろ、諸近代経済学にしろ、行政手段によって、どの理論が正しくて、どの理論は正しくないと断を下すのは問題だ。共産党の指導する中国においては、マルクス主義理論が指導的地位を占めることはけだし当然であるが、権力によって西方経済学を抑え込むようなことがあってはならない。マルクス主義理論を創新し、如何に魅力あるものにするかが目下の最重要課題だ。
(2)改革開放政策への積極的評価。
新自由主義経済論の影響を受けて、今までの改革開放政策には少なくないミスもあった。しかし基本的に大きな成果を収め、国際ルールへのリンクによって企業の競争力は高まった。それは過去25年の経済的実績によって立証されている。中国は新自由主義の政策をとってきたという論調があるが、それは事実ではない。もしそうであれば、ソ連崩壊後のロシアのように経済的混乱を招いたであろう。9%の経済成長率が長期間維持されたことは、基本的に正しい政策がとられたことを意味する。今中国が直面しているさまざまの問題は政策的ミスによるものであり、改革開放政策の基本が間違っていたわけではない。今取られている弱者優遇策が着実に実行されていけば、改革開放の成果は弱者にも還元されていく。
(3)混同すべきでない理論と政策。
理論は原理論と応用理論に別れ、多くの部門理論が存在する。政策は諸理論を客観的現実に結びつけて作成される。したがって、政策体系の形成に当たっては、どのような理論を選択するかが問われる。一般に経済理論は、一定の条件下での法則性解明であって、マルクス主義経済学原論は人類発展史の視点から経済を論じるのに対し、西方経済学は市場経済原論である。即ち、研究対象の違いによって、理論の選択が異なるのだ。それゆえ、よほどの論拠がない限り、諸理論について間違っているとか正しいとかの判断をすべきでない。それに対し、政策の是非は実践によって容易に判断されうる。間違ったとすれば理論そのものではなく、政策が間違っていた、理論の選択が間違っていたのである。
(4)市場原理主義への批判と反省は世界的現象。
中国が改革開放政策をとり、旧ソ連が崩壊してからは、計画経済や政府の失敗が立証されたとして、市場原理主義が世界的広がりを見せた。しかし、第三部分で述べた如く、今世紀に入って、市場原理主義への批判と反省は世界的現象となっている。中国経済は共産党が権力を握っていたため、市場原理主義には陥らなかったが、その影響を受けたため多くの弊害が出た。現在、その偏向是正に取り組んでいるが、それを世界的反省と是正の一環と位置づけるべきだ。それによって世界の有識者の理解と同情が得られるし、中国の影響力も拡大するからである。
(5)マルクス主義の指導的地位確立についての国際的理解。
現在の中国ではマルクス主義が省みられなくなっており、共産党の指導的地位維持のためには、マルクス主義の指導的地位確立は必要である。しかし、国内においても海外においても「マルクス主義の指導的地位確立」という言葉は、往々にしてかつての専制的体制を連想させ、悪影響が出る可能性がある。自己点検も含めて、曲解されているマルクス主義の理解修正と新しい状況下での理論的創新を、世界に幅広く訴え、世界有識者の理解と支持を得るよう努めるべきだ。マルクス主義、社会主義などの言葉を、対外的には控える傾向にあるが、むしろ積極的に訴えて世界的世論を形成していくのが正道だ。
(6)政治改革の環境整備につながる偏向是正。
今、世界各国が最も関心を払っているのは、中国政治改革の行方、政治的民主化の進展ぶりである。政治改革によって、党の指導性、人民民主、憲法中心の法治この三者結合の政治的仕組みをつくることが党の重要課題とされた。しかし党内の健全なる勢力が弱すぎてすぐには取り組めないのが実態だ。新自由主義の影響によって生じた偏向を是正することによって現体制が強化され、政治改革の環境が整備され、「専制的社会主義から民主的社会主義への移行」が達成される。日本を含む諸外国は、中国のこのような偏向是正と政治改革の動きを歓迎するはずだ。
 
結び
中国経済は高度成長を遂げているが、諸矛盾が激化し社会的リスクが高まっている。そのため、日本では中国崩壊論、共産党支配崩壊論がはびこっている。新自由主義を巡る論争及びそれへの中止令は、中国政権の土台脆弱論にある種の材料を提供する。しかし実体は胡錦濤・温家宝体制は極めて強固で、徐景安氏がいう如く、全く新しい時代を切り開こうとしている。即ち毛沢東時代、鄧小平・江沢民時代に次ぐ第三の胡錦濤時代の到来である。それは着々と進められている来年の第17回党大会に向けての準備に表れている。胡錦濤・温家宝体制の社会主義理論再構築と新自由主義論偏向への是正は大きな関心を払って見守る価値がある。

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このページは、凌星光が2006年5月 5日 00:46に書いたブログ記事です。

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