わが人生、最後の挑戦

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福井に立て篭もって回想録を書くか、日中の架け橋として最後の挑戦に臨むか。2002年の秋、満70歳の定年を間近に控えて選択を迫られた。病院でCT検査の結果、脳の方は80歳まで大丈夫のお墨付きを得て、家内の反対を押し切って後者を選んだ。


 親交のあった日中関係有識者に手紙を出し、有志を募った。そして、2003年3月27日、日中関係研究所を東京に設立した。はじめは何時でも「退却できる」サロン的なものを考えていたが、会員たちの熱心な協力により、ますます組織立ったものとなった。二年目に先輩の谷口誠氏(元国連大使、現岩手県立大学学長)が代表幹事になってくれ、ますます日中双方から重視されることとなった。
メンバーもリタイア組み中心から現役組み中心に変わり、徐々に若返った。わずか三年の間に、三好崇一(元「朝日新聞」論説委員、上智大学教授)、鮫島敬治(元日本経済新聞編集局長)、劉進慶(東京経済大学名誉教授)ら五人の有力協力者を失った。その代わり、中年メンバーが多数加わり、現在、会員数は40名余り、月一回開かれる研究会には毎回20人余りが参加する。
この研究会のために、小生は二ヶ月に一回の割合で中国に行く。行動パターンは、偶数月下旬に中国へ帰り、約20日間滞在して奇数月の20日頃に戻ってくるというものだ。中国へ行く前に研究会を開き、皆さんの意見を聞いて、中国の日本問題関係者に最新情報を伝える、中国から帰ってきたらまた研究会を開き、中国の最新情報を皆さんに伝えるという具合。福井に自宅がある関係上、偶数月の上旬と中旬は、大体、福井に戻り、休養を兼ねて長論文の執筆に携わることが多い。
メンバーの構成は国会議員(自民党、民主党、共産党など)、主要新聞の論説委員、大学教授、経済界OB、などからなり、中国側のカウンターパートナーは、中国社会科学院、国務院発展研究センター、現代国際関係研究院、新華社世界問題研究センター、中日関係史学会、北京大学、中国人民大学など、何れも中国の対日政策に影響力のあるシンクタンクや最高学府である。
毎回の研究会は、大体、小生が偶数月は問題提起、奇数月は帰国報告を行い、もう一人日本の方が所定のテーマで報告を行う。報告時間はそれぞれ30分で、その後、約二時間、出席された会員同士で意見交換が行われる。いろいろな観点を持つ人がおり、情報交換と意見交換の場であっても、議論の場ではないということにしている。そのため、幅広い参加者が気持ちよく参加できる雰囲気にある。
去る6月、2005年度日中関係研究所年報「悪循環からの転換を目指して」を編集・発刊した。昨年一年間の研究会内容をまとめたものである。第一部は13回にわたる各月所報(研究会での報告と討論)、第二部は小生の時事論評、第三部は会員の随筆となっている。
この年報を中国の提携先と日本の関係者に配布したところ、かなりよい反応を受けることができた。今年もこの方向で努力するつもりである。
 小生の興した日中関係研究所以外に、今年から(社団法人)日中科学技術文化センターの常任理事として関わることとなった。主として研修生の受け入れや、日中間の人材交流を主な事業内容としている。センターの会長は元法務大臣の野沢太三氏(工学博士で、鉄道技術関係の権威者)である。
それから、日本華人教授会議の監事として、朱建栄代表に協力している。在日中国人教授は数百人に上り、その中で小生は最年配者である。40、50歳の「どんぐりの背比べ」の中で、メンバーの協調を図るのが小生の役割と考えている。教授会議の日本での知名度は一応確立されたが、中国本土では今ひとつだ。今年9月には帰国訪問団を組織して、PRに励むことになっている。
日中関係研究所、日中科学技術文化センター、日本華人教授会議、この三つの場を通して日中間の架け橋として諸活動を行っており、同窓諸兄のご支援を今でも期待している。

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このページは、凌星光が2006年8月 2日 01:16に書いたブログ記事です。

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