昨年12月の第一回東アジアサミットでは、日中間の角逐が展開された。今年12月の第二回東アジアサミットは果たしてどのようなものになるのであろうか。人々の予測に反して、安倍晋三首相の10月訪中が決まった。それは胡錦濤体制が固められ、外交面でも新しい展開を見せていることと密接な関係がある。本稿では、まず第一回東アジアサミットを回顧し、日中間の争点を整理する。次に胡錦濤外交の特色を述べ、今後の日本及び東アジアへの影響を暗示する。最後に今年の第二回東アジアサミット及び東アジア共同体の行方について論じる。
一 第一回東アジアサミットでの日中間の角逐
東アジアサミットの開催は、2003年のASEAN10+3でそれについての検討が決まり、04年の10+3会議で05年の開催が決定された。当初、それは、当然、東アジア13カ国のサミットと見られていた。ところが、中国がその主催国になりたいと名乗りを上げたため、日米、更にはASEAN諸国の中からも、中国が主導権を握ろうとしているのではという警戒心を招いた。
その結果、米国のアミテージ氏が米国を排除した東アジアサミットに懸念を表明し、日本の懐疑派たちが勢いを得て、13カ国サミット実質棚上げの挙に出ることとなった。マスメディアでは日中間の主導権争いが盛んに報道されたが、実際には東アジア共同体構築に真に取り組むのか、それとも「関与あいまい」(渡辺利夫、毎日、12月13日)で機能不全に陥らせるかの抗争であった。以下では、東アジア共同体構築を巡る意見の相違点、日本の対応、中国の対応、サミット会議での角逐について述べる。
(一) 主な意見相違点
1 構成国の範囲について。もともと13カ国であると思われていたのが、日本の働きかけによって、ニュージーランド、オーストラリア、インドが含められることとなった。前二国は小泉首相が2002年1月に東南アジアを訪問した際に提起した「東アジアコミュニティー構想」と一致する。インドを新しく加えたのは、最近、経済発展が目覚しく、中国の影響力拡大をけん制する上で有利と判断したからである。日本は米国も含めたいと言ったが、それは受け入れられなかった。このように変わった背景には、ASEAN内部でも意見が分かれたことに原因がある。インドネシアやシンガポールも中国の影響力拡大を怖れ、この三カ国を入れることに同意したのである。他方、マレーシアは1990年代の初めから、東アジア諸国の結束による対欧米の交渉力強化を主張しており、地域外諸国の加入には反対している。
2 指導理念について。中国は平和的発展、新安全観、和諧世界論を主張し、今回の大会で、温家宝は「東アジア意識」という言葉を使った。10+3の成果として五点挙げ、その第一点として「東アジア意識を育み、強化し、東アジアの発展を促した」と評価したのである。また「東アジアの実際に即した、東アジア特色のある地域協力モデルを模索しよう」と「東アジアモデルの創出」を呼びかけている。それに対し、日本は中国けん制の手法として「自由、民主主義など普遍的価値観」を強調した。しかし、これはここ数年、日本が対中国牽制策として打ち出してきたもので、10数年前には、日本は米国のレビジョニストから他の先進国とは違う異質の国と批判されたことがある。市場を重んじると言っても、政府の役割が強く、米国などとは違うと批判されたのである。現在、東アジアは日本の創出した政府の役割と市場の役割とを結合させたモデルを活用して成果を挙げ、それをさらに国際化させようとしている。米国の学者はこの東アジアモデルの模索を「北京コンセンサス」と呼んでいるが、正しくは「東アジア(元は東京)コンセンサス」である。日本の現政治家は先人の功績を無にしてしまっている。谷口誠氏が言うように、価値観で日中を対立させることが、どれだけの説得力があるであろうか。
3 ASEANの位置づけについて。ASEANは中小国の連合である。それ故、日本と中国という大国を結びつける知恵が可能となる。ASEAN10+3はASEANが主人、日中韓がお客として招かれたという形をとってきた。現在、東アジアサミット、しかも16カ国の首脳会議が開かれることになり、ASEANと他の国とは主客の関係でなく、互角の関係であるという見方が出るようになった。そうするとASEANの存在感が薄くなってしまうし、大国間の綱引きが強まる可能性がある。そこでASEANは引き続き主導的役割を果たすことが「ASEAN+3宣言」に謳われた。東アジアの事情からいって、ASEANの主導的役割は不可欠なのである。但し、ASEAN内部で意見が分かれ、東アジアサミットが本来描いたサミットから完全に異なったものになったことは、大きな失策であった。幸い、今年4月、ASEAN外相会議で、東アジアサミット加入に当たっての三つの条件(つまりASEAN友好協力条約に加入する、ASEANの対話国である、ASEANと実質的な経済関係を持っている)を付したことにより、ASEANの主体性、東アジアの主体性は守られることとなった。
4 「東アジア共同体構築の主体」について。東アジア共同体の構築を担う組織は10+3の13カ国か、それとも10+3+3の16カ国かの意見相違が生まれた。中国やマレーシアは前者を主張し、日本やインドは後者を主張する。この意見相違をあたかも日中間の主導権争いのように言われているが、実際には真に東アジアが一つにまとまるのかどうかの問題である。現在、アジア共同体の構築は非現実的である。最も現実的なのは東アジア共同体である。とすれば、構成国は、当然、東アジア諸国であるはずだ。もしインドが入れば東アジアではなくなる。大洋州のニュージーランドとオーストラリアは東アジアではないし、その価値観は欧米に近い。もし16カ国が一つになるとしたら、この東アジア共同体は奇生児であり有名無実化する。そのため、ASEANが事前に用意した東アジアサミットの共同宣言文では、インド、オーストラリア、ニュージーランドを「域外国」と呼び、東アジアサミットを「域外国との対話の場」と規定した。しかし、それは日本などの反対によって修正された。
(二) 日本の対応
日本は1980年代後半から90年代前半にかけて、東アジア経済圏を構築しようとした。マハティール首相が1990年に打ち出したEAEG構想は、もともと日本の有識者から出されたものであった。当時、日本の構想には中国は含まれておらず、まず日本とASEANで経済圏を作り、日本の指導権が確立した上で、中国を引き入れるというものであった。日本の経済力をバックに、「さらばアメリカ、アジア共円圏の時代」などが盛んに言われ、中国については、改革開放政策が持続的に推進され、体制が変化していったならば、自然と抱きこめるというものであった。ところが、米国の反対に遭って、この構想は実現できなかった。当時、大来佐武郎氏は、巨額な外貨を発展途上国(主として東アジア諸国)に融資し、それによって米国の物資を購入させ、資金の国際的還流をスムーズにする枠組み作りを提案した。しかしそれは実行されず、アメリカの国債を購入するという方法によって資金の還流が図られた。東アジア経済圏の構築には結びつかなかったのである。
1997年のアジア通貨危機のさい、人民元の切り下げが行なわれず、その強さが脚光を浴びた。その後の高度成長と外貨準備高の急増で、中国の国際的地位、とりわけ東アジアでの経済的地位は高まり、折から失われた10年の経済的停滞に陥った日本とは対照的であった。こうした中で、ASEANが日中韓を呼んでの10+3非公式首脳会議と三つのASEAN10+1(日、中、韓)会議が発足した。その後の8年間、中国とASEANとの経済交流の発展は目覚しく、日本のそれを上回るものであった。2004年の10+3会議で、東アジアサミット会議を05年に開くことを決定し、同時に長期的目標は東アジア共同体の構築にあるとした。その背景には、マレーシアと中国が積極的に提携しているということがあり、日本では中国主導の東アジア共同体になる可能性が強いと懸念する声が強くなった。渡辺利夫氏のような学者でさえ「東アジア共同体論が急浮上しているが、その背景には地域覇権を狙う中国の戦略がある」と断定し、日本は「中国色を薄めると共に、日米関係を核として保ち、米国を共同体に招き入れるための努力をすることが不可欠」と主張する。(毎日、05年12月13日)
それに対し、寺島実郎氏や谷口誠氏は、歴史の流れを客観的に見て、日本の目をアジアに向け、日中協力による東アジア共同体の構築を目指せと説く。このような意見は有識者の中にかなり強くあるが、現政府は基本的に前者の立場をとっており、対中けん制が目立つ。かつての経済力の影響だけでは中国に勝てないと見て、自由と民主主義の共通価値観を持ち出した。そしてニュージーランド、オーストラリア、インドを呼び入れてけん制を強めようとしたのである。これは一応成功したかのように見えたが、ASEANと中国、韓国の抵抗にあって、日本は第一回サミット会議で完全に受身に立たされることとなった。
(三) 中国の対応
中国はこの1年間、経済力や軍事力を強めると同時に、ソフトパワーの強化に努めてきた。平和的発展、新安全観、和諧世界論を展開し、各国の理解を得るよう努めた。と同時に、その経済力を活用して、ASEANとの協力を深めていった。10年前には、ASEANと中国は同じ発展段階にあり、競合激化の見方が主流であった。ところがここ10年の現実は、ASEAN諸国と中国との貿易と投資が飛躍的に拡大し、ウインウインの関係が確立されてきた。そのため、中国の東南アジアでのプレゼンスは急上昇していった。
こうした中で、東アジアサミットが開かれることとなり、中国の一部指導者は周辺諸国に与える影響も考慮せずに、早々と会議主催の意思を表明した。それは中国が主導権をとろうとしていると誤解され、各国から批判の声が上がった。とりわけ米国と日本の反応は強かった。そこで東アジア共同体への期待値を下げ、もっぱらASEANの判断に従うという本来の姿勢に戻した。また東アジアサミットは初期の思惑とは完全に違ったものになり、実質的意義のないものとなってしまった。そこでASEAN10+3を存続させ、それが東アジア共同体構築の推進母体となり、16カ国からなる東アジアサミットは論議の場とする戦術をとることとした。即ち東アジア共同体構築の実体は10+3が担い、10+3+3は意見交換するサロンである。このサロンもASEAN主導であるため、東アジアの主体性は保たれる。参加国が多くても差し支えないのである。今年の第二回サミットにはロシアも正式参加する予定である。
中国のこのような戦略戦術が反映されて、温家宝のスピーチは10+1と10+3では大変具体的で、実務的である。たとえば10+1では次のような提案をしている。(1)06年はASEAN・中国友好協力開始15周年であり、過去15年を総括し、今後の15年を展望する記念活動を行なう。(2)賢人会議の提案に基づいて、双方関係についての全面的プランを立て、行動計画の中に組み入れる。(3)交通、エネルギー、文化、観光、公共衛生を新たな重点協力分野に設定し、現在中国で行なわれている博覧会をASEAN諸国で巡回展示する。(4)外交・公務のビザ免除制度を実行し、人員の相互交流を促す。(5)中国・ASEAN公共衛生協力基金を充実させる。
ASEAN10+3の会議では、次のような具体的提案をしている。(1)専門の作業組織を作って、2007年に東アジア協力共同コミュニケを発表する。(これはすでに10+3宣言に書き込まれた。)(2)アジア地域巨大災害研究センターを設置する。(3)第二回10+3地域貧困扶助ハイレベルセミナーを中国で開催する。(4)10+3の軍事体育交流活動を開催する。(5)2006年に中国でアジア芸術祭を挙行する祭、「ASEAN文化週間」を設けると同時に、「文化・人的資源開発協力学習班」を設ける。(6)学歴と学位の相互承認を加速化する。(7)過去5年間に30億ドルの経済援助と優遇融資を行なったが、今後3年間、更に33億ドルを提供する。(胡錦濤が05年9月に国連で宣言した発展途上国援助100億ドルの三分の一)(8)50億ドルの優遇融資を増やし、中国企業のASEANでの投資活動を支援する。
中国のこのような実のある対応はASEANで好評を受け、マレーシアのハミド氏は「ASEANと中国の関係は実務的であり、目下、双方で署名された合意書の四分の三近くが実施されている。これはASEANと対話パートナーとの関係のよき模範となっている」と称えた。
(四) サミット会議での角逐
温家宝首相の12月14日サミット会議での発言は抽象的で、基本的に日本への暗示的批判が貫かれていた。テーマは「開放・包容を堅持し、相互利益、オールウインを実現しよう」である。
これに先立つ10+3会議でも、温家宝は主として日本を念頭に入れた反論を加えている。例えば、中国が主導権を握ろうとしているという日本の論調をはっきり否定し「中国は地域協力の主導権を求める意図はない。中国は各方面の共通利益に叶い、東アジアの協力と発展に有利なすべての提唱を支持する」「引き続きASEANが主導的役割を発揮することを支持し、中日韓が協調を強化し、それぞれの優位性と役割を十分に発揮するよう主張する」と述べた。また「開かれた地域主義」には賛成で「10+3が米国、EU及び域外の国家・組織との交流と対話を強化することを支持する」とも述べた。
そしてサミット会議でのスピーチは、更に系統立てて次の諸点が強調された。
先ず、サミット会議を対話の場としている。温家宝は東アジアサミットを「対話を強化し、相互信頼を増進させる新しいプラットフォーム」と位置づけた。小泉首相はサミット会議が対話の場だけでなく、共同体構築の主体となるよう主張した。しかし10+3宣言はサミット会議を「対話の場として設置する」とした。
次に、日本の中国覇権論と主導権争い論を戒めている。再度、「ASEANが東アジア協力の中で主導的役割を発揮することを支持する」「中国は東アジア地域で絶対に支配的地位を求めない」と言い切った。これは中国覇権主義への懸念払拭のためであるが、主導権を握ろうとする日本への批判でもある。麻生外相は7日の講演で、日本は経験が豊富で「この経験でアジアを指導することができる」と語り、不評を買ったが、温家宝の言葉は麻生氏への回答とも受け取れる。サミット宣言ではASEANが推進力になるとされた。
第三に、東アジア13カ国が構成国で、他の三カ国は域外国と位置づけた。それは「本地域の国家が参加した、本地域の特色がある、本地域の要求に合致した地域協力を大いに推進しよう」「われわれ(即ち10+3)は三国と共に東アジアの発展と協力という大事業を共に推進することを期待する」という言葉に表れている。10+3宣言は10+3が「主要な手段」、サミット宣言は10+3+3が「重要な役割を果たしうる」と位置づけ、日本の16カ国主体論は退けられた。
第四に、東アジアの主体性を持つ、開かれた地域主義を主張。「われわれはロシアのサミット参加を歓迎する」「米国、EUなど他地域の外国や機構が東アジアとの協力面で連携を保つことも歓迎する」と述べ、三カ国以外への拡大に道を開いた。ASEAN友好協力条約に署名する国がより多くなることが望ましいからである。日本も「開かれた地域主義」を言うが、それは構成国を地域外に拡張しようとするもので、東アジアの主体性の有名無実化につながる。
第五に、東アジア地域価値観の多様性を尊重すべしと主張。「中国は引き続き本地域の文化、宗教、価値観の多様性を尊重する」と述べており、それは日本の主張する「民主主義など普遍的価値」論へのアンチテーゼである。
第六に、機能的協力以上のものを目指そうと主張。「本地域の特殊性に合った地域協力の道を模索しよう」としており、日本の主張する「経済連携やテロ対策など個別分野での機能的協力」以上のものを提起している。
最後に、温家宝は「不畏浮雲遮望眼 只縁身在最高層」(浮雲の眺望の目を遮るを畏れず、只縁にて身を最高層に置けば)という詩の二句で結んだ。それは、日本によってもたらされる妨害は、共同体構築という遠大な目標を持って相対すれば、たいしたことはない、必ず克服できる、という意味に聞こえる。中国の日本に対する毅然たる態度が伺えるのである。
二 胡錦濤外交の新展開
8月21日から23日にかけて、北京で中央外事工作会議が開かれた。会議には中央常務委員9名がすべて出席し、各省自治区直轄市主要責任者、中央国家機関主要責任者、軍隊主要責任者、一部海外駐在大使、一部大型国有企業責任者が参加した。24日のマスメディアに会議の主な内容が報道された。それを見ると、胡錦濤色がより一層濃い外交姿勢が示されている。中国外交の歴史的流れを省みながら、胡錦濤外交の特色を、とりわけ二年前よりも進展した点に焦点を当てて、論じてみたい。但し、胡錦濤講話の全文や会議で議論された内容の詳細についてはまだ公表されていないため、あくまでも初歩的な分析である。
(一)中国外交の継続性
胡錦濤新外交は、2002年11月に胡錦濤が総書記に就任して二年近く経った2004年8月(25-29日)に開かれた第10回海外駐在大使会議で示された。今回の会議は、その後二年間の経験を踏まえて、より充実したものになったと言える。
鄧小平時代、江沢民時代と変わらない国際情勢分析と外交原則としては、時代的特徴は「平和と発展が当今時代の主要課題である」「世界の多極化と経済のグローバル化が進んでいる」「平和共存五原則の堅持」「独立自主の平和外交政策の堅持」などがある。
(二)胡錦濤外交の提示
2004年の海外駐在大使会議で示された胡錦濤外交の特色は「平和、発展、協力の旗幟を高く掲げる」「平和発展の道を歩む」というもので、国際協力と平和的発展を強調していることにある。つまり中国のソフトパワーを強化することによって、「中国脅威論」を取り除き、平和的環境を整備しようというものだ。そして、次のような言葉が新しく提起された。
「世界の多極化、経済のグローバル化趨勢は紆余曲折を経つつ発展している」、「国際情勢の変化を冷静に観察し、科学的に分析する」、「新世紀、新段階」の外交を展開する、「国内、国際の両大局に着眼し」外交政策を練る、「海外のわが国公民と法人に奉仕する」、「『引き入れる』と『出て行く』相結合の対外開放戦略」を展開する、「外交活動の創造性、主導性、積極性(進取性)」を提唱する、「全局性、展望性、戦略性」のある研究を行う。これらの基本点は今回の会議でも受け継がれ、更にその内容が充実されている。
(三)より濃厚な胡錦濤色
以下に、今回と二年前との相違点や新味について述べる。
1 第一点として挙げるべきは、2004年にはあった次の言葉がなくなったことである。「新安全観を唱え、公正で合理的な国際政治経済秩序の構築を推進する」「国際事務の中で、発展途上国の正義の要求と合理的主張を支持する」。即ち、二年前には、胡錦濤も温家宝も発言の中で「公正で合理的な国際政治経済秩序を構築する」と言っていたが、今回は言わなくなったのである。今年の初め、香港ですでにこのことが話題になっていたが、今回、それが立証された。現在の国際政治経済秩序が発展途上国にとって、公正で合理的なものではないことは事実で、それを否定するものではなかろう。但し、今までのような言い方は、現在の国際政治経済秩序に挑戦するというようにも受け取れるため、避けるようになったと思われる。現在の中国の姿勢は、既存秩序の欠陥は、国際社会の話し合いの中で徐々に改善していこうというもので、より協調的となっている。
2 当面の国際情勢の見方が1980年代に戻ったことである。今回、国際情勢の新趨勢、新特徴として「大変動、大調整の時期」にあるとし、「平和維持、戦争制約の要素は絶えず増大しており、かなり長期にわたって平和な国際環境、良好な周辺環境を実現できる」とかなり楽観的な分析をしている。二年前には「国際情勢と国際関係にわれわれが高度に重視するに値する新変化、新特徴が現れた」「新趨勢、新特徴、新動向の把握に注意を払うべき」としていた。当時、米国の単独行動主義がまだ強かったため、米中関係悪化への警戒心があったためであろう。それが今では、米国の単独行動主義は破綻し、米国の対外政策は国際協調主義にシフトしており、とりわけ中国との戦略対話を強化する方向にある。米中関係が1980年代のような相対的安定期を確保できると見て、「かなり長期にわたって平和な国際環境を維持できる」と判断するに至ったと見られる。
3 「国際的事務に積極的に参加する」姿勢が示された。過去においても、平和維持部隊の派遣などをしてきた。しかし、その規模は小さく、最低限度の義務を果たしたに過ぎない。原因は国力の限界による面があろうが、より重要な原因は米国をはじめとする先進国主導の「国際的事務」への違和感にある。しかし、これからは米国をはじめとする先進国との協調を基本とするため、国連で自らが賛成した「国際的事務」には積極的に貢献していくこととなろう。最近、レバノンの平和維持に1000名の要員を派遣することが決まり、国際的に大きな話題をよんでいる。もっとも、中国は自国の主張をはっきり述べ、米国主導のすべてに賛成するわけではない。あくまでも発展途上国も含む国際社会の求めに応じることを原則としよう。
4 経済外交を積極的に展開することが示された。二年前は、外交工作は「終始、国家主権と安全の維持を第一に置く」と政治と安全保障に重点が置かれた。今回は「国家主権、安全、発展の利益を守る」と「発展」が加わり、「外事工作は経済建設を中心とすることを堅持しなくてはならない」と外交の経済への奉仕が強調されている。胡錦濤外交の特徴はイデオロギー論を排し、専ら実務的外交を推進することにあるが、その基礎となるものは経済である。経済外交によって国内経済の発展を促し、経済外交によって平和的環境を整備するという二つの目的が提示されている。
5 「国内国際両大局の統一的把握」による「対外関係の主導権確保」が強調されている。前述した如く、二年前すでに「国内、国際の二大局面に着眼し」と提起されたが、まだ漠然としていた。今回は「国際国内両情勢の相互関係の中で発展方向を把握する」「国際国内両条件の相互転化の中で発展のチャンスを掴む」「国内国際両資源の優位性補完のなかで発展条件を編み出す」「国内国際両要因の総合的作用の中で発展大局を把握する」「戦略的策謀と全体的計略を強化し」、「自国に有利な工作局面と戦略態勢を積極的に創りだす」など、極めてはっきりした方向付けを行っている。それの目指すところは、「内政と外交の関連性強化」の中で、内政改善による外交展開、外交成果による内政促進を成し遂げることにある。
6 「平和的発展の道を歩む」理由付けが充実された。2002年末、鄭必堅氏が「平和台頭論」を説き、胡錦濤・温家宝の受け入れるところとなった。その後、「台頭」という言葉はよくないということで「平和発展論」に改称された。そして二年前の会議で重要コンセプトとして使用された。但し中国が平和的発展をする理由付けについてはたいへんお粗末で、説得力に欠けるものであった。それが今回、たいへん充実した理由付けがなされた。「平和的発展の道を堅持するのは、中国的特色ある社会主義の本質的要求である」とし、はじめて社会主義国家という本質から規定されることが第一の理由として挙げられた。筆者は本誌掲載の2003年論文でこれを指摘したことがあり、この点を高く評価したい。更に、平和的発展は「わが国の独立自主平和外交政策の在るべき本義である」とした上で、「わが国が一貫して堅持している対外基本方針に合致し、わが国人民の根本的利益に合致し、中華民族の平和を愛する歴史的文化的伝統に合致し、人類進歩の時代的潮流に合致する」と四つの理由が挙げられた。
7 「相互利益、ウインウインの開放戦略」が強調されている。これは今までの政策を継承したものであるが、「より広い範囲、より広い分野、より高いレベルで国際経済技術協力と競争に参加する」「自由貿易区の建設を加速化する」としており、開放戦略の高度化が図られる。他方、「サービス貿易の比率を高める」「対外文化優秀作品戦略を展開し、文化商品輸出の拡大を図る」「中華文化を世界に押し広げ、世界がよりよく中国を理解するように努める」などが謳われている。これはあながち、経済ベースに基づく文化外交の展開である。
8 「和諧世界の建設推進」が新しく提起された。「和諧世界論」は、2005年9月、胡錦濤国家主席が国連ではじめて示したコンセプトである。「人民日報」8月24日社説の見出しは「平和発展の道を堅持し、和諧世界の建設を推進する」であり、今や、「平和発展論」と「和諧世界論」は胡錦濤外交の二大コンセプトとなっている。では「和諧世界論」の内容はどんなものであろうか。今回、それがはっきり示された。それは「恒久平和と共同繁栄の和諧世界」で、政治的には「各国人民の、社会制度と発展ロードを自主的に選択する権利を尊重すること」と「国際関係の民主化」を推進すること、経済的には「経済グローバル化と科学技術進歩の成果を共に享受すること」、文化的には「異なった文明の交流強化を促し、相互理解を深め、相互促進を図ること」、安全保障面では「相互信頼を深め、対話と協力を強化する」「国際紛争の平和的解決を促すこと」である。
9 発展途上国も念頭に入れた「人を以って本と為す」外交が示された。二年前、海外大使館・領事館は、企業や公民の海外活動における合法的権益の保護、華僑華人及び香港・アモイ・台湾同胞の正当な利益保護に努めなくてはならないということが示され、中国領事館の業務は大きな改善を見た。今回、その精神が発展途上国人民にも拡大され、「国家の実力増大に合わせて、対外援助を適切に増やし、発展途上国の発展加速化と人民生活の改善を支援する」と謳われた。毛沢東時代に主として革命的視点に立って発展途上国への援助がなされた。改革開放後は大幅に減少した。現在、経済発展と人民の生活改善という視点から、発展途上国への援助が増大されようとしているのである。
10 狭隘なナショナリズムと自国過大評価への戒めが間接的に提示された。「広範な幹部や大衆が国際情勢を正しく認識し、各国人民に平等友好的に対応するよう導く」としている。昨年4月の「反日デモ」などが念頭に置かれたものであろう。また、わが国は「長期にわたって社会主義初級段階にあり、わが国を富強・民主・文明・和諧の社会主義現代国家に建設するには、長期にわたる努力が必要である」とし、最近、一部国民の中にあるおごりに警告を発している。
11「全方位外事工作の展開」が示された。今回の外事工作会議は外交部や海外駐在大使館の要員だけでなく、地方及び中央各部門の責任者を網羅している。それは全人民外交を展開するためであり、このような会議は建国後はじめてである。発表された報道には「政府外交のメインチャネルとしての役割を十分に発揮させ、政党、人大(人民代表会議)、政協(政治協商会議)、軍隊、地方、民間団体の対外交流活動を強化・改善し、外事活動の全体的合力を形成する」と書かれており、今後の展開が注目される。毛沢東時代に人民外交が強調された。しかし、当時は閉鎖社会にあったため、一般大衆とは殆ど縁がなかった。しかし今は多くの中国人が海外に出て行き、また、多くの外国人が中国にやって来ている。真の人民外交が展開される時期にあるといえる。
(四)胡錦濤外交の中国外交史での位置づけ
私見によれば、毛沢東の第一段階、鄧小平・江沢民の第二段階、胡錦濤の第三段階に分けられる。つまり「新世紀新段階」というのは、第三段階に入ったということである。
第一段階は、イデオロギー対立の中で、革命的外交路線が推進された。米国を中心とする西側諸国の創った国際秩序には否定的で、それを外から破壊し、新しい社会主義の国際秩序を作ろうとした。そこには基本的に階級闘争論に基づく敵対意識があり、合従連衡が展開された。
第二段階は、西側諸国の既存国際秩序の先進性を認め、改革開放政策によってそれに参入していく方針に変わった。しかし、発展途上国に不利な既存の国際秩序には不公正で不合理な面があり、内部から平和的に改革していかなくてはならないとする。但し、中国の力量に限界があり、基本的に「無為」の姿勢をとった。
第三段階は、中国の国力増強と国際情勢の変化により、国際社会でより積極的な対応をせざるを得なくなった。そして自己抑制としての「平和発展論」と国際社会への貢献としての「世界和諧論」を提起した。これは先進国と発展途上国とを繋ぐ役割を果たすコンセプトでもある。
三 第二回東アジアサミットと今後の展望
胡錦濤外交が本格的に展開されようとしている現在において、日中関係改善の兆しが見えてきた。間もなく開かれる第二回東アジアサミットは、昨年の角逐継続ではなく、より良好な雰囲気で開かれる可能性が出てきた。但し、会議までの時間は余りにも短く、大きな転換を見ることは難しかろう。
(一)日本の中国外交への根強い不信感
胡錦濤の両輪、平和発展論と和諧世界論は、国際社会で徐々に理解されるようになっている。但しそれは国によってかなり異なる。一般に発展途上国では好意的に受け止められている。とりわけASEAN諸国は、中国と戦略的パートナー関係を結んだこと、南沙諸島問題でお互いに一方的な行動をとらない協定を結んだこと、中国が東南アジア友好協力条約に早期加盟したことなどもあって、中国への信頼感は極めて良好である。インドと中国との関係も過去五年間に大きな改善を見ており、2005年度貿易額は187億ドルに達し、経済関係は急速な発展を見ている。
欧米諸国は中国の改革開放政策を評価しながらも、今後の行方が不透明として、中国外交に半信半疑の姿勢をとっている。つまり平和発展論や和諧世界論そのものは評価するが、実際にとる政策が果たして合致するかどうかを見守るという姿勢である。
それに対し、日本は根本から中国を信用せず、平和外交は策略に過ぎないという見方が主流である。中国のインテリ層は日本のこのような態度に失望感を抱く。そして、日中関係が独仏関係のようになることを期待するが、日本ではそれが受け入れられないということに反感を抱く。こうして、日中両国の有識者は誰もが日中関係の重要性を認識しているにもかかわらず、国民世論レベルでは相互嫌悪の悪循環に陥っている。安倍首相訪中によって、悪循環が断ち切られることを期待したい。
(二)日中両国での論議
日中関係は今、国交正常化以来の最悪状態にあるが、日中双方に大体次の四つの主張が存在する。
1 日中協力論
加藤紘一氏は新著「新しき日本のかたち」の中で、日米関係さえしっかりしていれば他の国との関係は自然にうまくいくというのは間違いで、他の国との関係がよくなければ、米国にとっての日本の存在価値がなくなり、日米関係も危なくなると書いている。(第149ページ)また、岩手県立大学学長谷口誠氏や大阪市立大学大学院教授山下英次氏らは、東アジア共同体は13カ国で推進すべきで、日本の第一回東アジアサミット会議での提案は東アジアサミットを形骸化させた、これでは日本がリーダーシップを発揮することは出来ない、
信頼醸成のために安全保障も議論すべきで、非伝統的安全保障問題の討議を経て、徐徐に伝統的安全保障論議に移るべきだと主張する。日本の有識者の中には、このような論者が少なくない。
中国においても、このような主張をする者が少なくない。当局が基本的にこの立場に立っているため、学者の中では多数を占めていた。ところがここ数年、中国の国民感情を反映して、このような主張は減退気味である。
2 関与抑止論
中国の外交、将来像が対話可能な合理的存在になるか、それとも秩序を混乱させる非合理的な存在になるかが未知数であるという観点から、東アジア共同体問題でも、米国と共に「関与プラス抑止」で対応すべきと主張する。「中国を引っ張り込む関与が重要だが、抑止もいる。東アジア共同体で地域的なルールを作れるならどんどんつくって中国に受け入れてもらう」(政策研究大学院大学副学長白石隆)というものだ。東京大学教授田中明彦氏も基本的にはこのような考え方で、東アジア共同体の形成は歴史的流れと受け止め、それへの前向きの対応を説くが、日本の主導性を如何に確保するかを常に念頭に置く。
中国においても、日本の政治が右傾化する中で、日本の「新軍国主義」台頭を抑制しつつ関係を深めるべきという考え方が強くあり、東アジア共同体の構築を通して、日中関係を改善すべきと主張する。
3 日中対決論
産経新聞の古森義久氏は2004年12月4日付「産経新聞」に「『東アジア共同体』への疑問」と題する記事を書き、「東アジア共同体」という妖怪が徘徊している、安全保障面から見て日本は絶対に中国と共同体など作れないと説いた。その後、反中国の論客がこの構想目的は、中国が覇権主義を完成させるプロセスに過ぎない、中国が盟主となった経済統合=「東アジア共同体」を狙っているなどを書きまくり、東アジア共同体構築反対、中国の野望粉砕のキャンペーンを展開した。こうした中で、拓殖大学学長渡辺利夫教授が前述した如く「東アジア共同体構想――日本の賛同に危うさ」と題して疑問を呈し、中国が東アジアにおいて地域覇権の掌握を狙っていると、古森らに同調する。渡辺氏は市場メカニズム論者で政府の関与を嫌う。氏が、現在、市場メカニズムによって東アジアの経済統合が進んでいることを是とし、各国政府による東アジア共同体という枠組み作りに反対するのは分かるが、東アジア共同体構築を中国の覇権を求める場という飛躍的論断には全く理解に苦しむ。有識者の偏向ともいうべき論調に押されて、日本社会には、東アジア共同体に積極的姿勢を示す論者は確信犯的「売国奴」と決め付けるアブノーマルな雰囲気さえ醸成され、理性的な声は抑えられ気味となっている。
日本のこのような世論に押されて、中国でも日中対決論が台頭し、日本の常任理国入り阻止を契機に「反日デモ」が起こった。研究者の中でも、日本の右傾化に真っ向から対決すべきという主張、日本の常任理事国入りは絶対に阻止すべきという意見が強くなった。
4 日中関係放置(共同体不可能)論
日中関係悪化の中で、日中双方に嫌気が充満し、日中関係放置論がはびこることとなった。そして東アジア共同体構築は困難で、不可能に近いと見る論者も多くなった。田中直毅氏は日中間の歴史的経過、米国との関係、中国の政治体制などから見て、「東アジア共同体構想はたいへん望ましいが、実際はなかなか難しい」と殆ど諦めに近い論を述べている。中国においても、日本の消極的姿勢と米国の妨害が東アジア共同体構築を難しくしているという悲観的論文が著しく多くなっている。
ここで注目すべきは、当面、日本抜きで東アジア共同体を進めていき、一定の段階にまで発展したら、日本は慌てて積極的姿勢を示すようになるという日本パッシング論が台頭していることである。日本抜きの東アジア共同体など日本では考えられないことである。しかし購買力平価で見れば、中国の経済規模は1990年代の半ばに日本を超えていて、2030年頃にはアメリカの規模になる可能性がある。つまり中国の一人当たりGDPは低いが、全実際の全体的規模は大きい。日本パッシング戦略は必ずしも不可能とは言えないであろう。
小泉政権前までは、日本の対中外交は日中協力論と関与抑止論の中間にあったと見る。それが昨年、日中対決論に傾斜していった。安倍首相訪中によって、関与抑止論にまでより戻されると期待したい。
(三)六つの条件整備
衆論の述べる如く、東アジア共同体の構築は日中関係が鍵を握る。そうであればこそ、ASEANも日中関係の改善を切望しているのである。それに応えるべく、日中両国が当面努力すべき六点を提示したい。
1 ASEANの主導的地位を尊重する。EUは二つの大国フランスとドイツが主導的役割を果たしたが、東アジアでは二つの大国日本と中国が主導的役割を果たす条件は、今後かなり長期間にわたって備えることができない。ASEANが主導的な役割を果たし、日本と中国がそれを支えるというのがベストである。ASEANは小国の連合で、実質的には有識者主導であり、ナショナリズムが抑制され得るからである。
2 相手方のリーダーシップを認め合う。全体的にはASEANが主導的役割を果たすが、日本、中国、韓国がそれぞれ得意の分野でリーダーシップを発揮することはすべての国が望むはずだ。例えば、チェンマイ・イニシアチブの形での通貨協力の枠組みがつくられたが、それは日本がイニシアティブをとった。日中双方は相手のリーダーシップ発揮に敏感になる傾向があるが、お互いに抑制すべきである。
3 「相互牽制と相互協力」に理性的に対応する。現在はウエストファリア体制から新しい国際関係に移行する過渡期にある。国家間の相互牽制は避けられないが、相互協力が時代的流れである。牽制が突出したときに相互協力を忘れず、冷静に対応することが肝要だ。また、協力がうまくいっているときに、けん制の面を忘れてはならない。長い時間をかけて、相互信頼は醸成されていき、相互牽制要素はますます弱くなっていく。
4 米中日三極対話の実現に努める。アメリカの一極支配はすでに破綻し、世界は多極化時代を迎えていて、均衡と協調の枠組みが模索されている。こうした中で、米中日三極対話の環境が成熟しつつある。筆者は昨年2月2日付日本経済新聞「経済教室」欄に「米中日の戦略対話を」を寄稿したが、最近、白石氏も同じような主張をしている。米国有識者にも同調者がいる。この三極対話によって、米国の東アジアでの権益保護と関わりが保障され、東アジアの安定が確保される。
5 制度的(組織的)アプローチと機能的アプローチを結びつける。日本は機能的アプローチを強調し、制度的アプローチには消極的であった。しかし、東アジア共同体の構築には、加盟国政治家の強い意思と組織的枠組み作りも必要だ。両者を結びつける必要がある。
日本が絶対的優位にあった頃は、枠組み作りに積極的であったが、それは米国などの反対により不発に終わった。現在消極的なのは、中国の影響が大きくなるという懸念からである。日中両国の対話と相互理解が求められる。
6 経済協力から安全保障協力に進む。貿易や投資面から見ると、確かに東アジアの経済統合はかなり進んでいる。しかし、それが世界の米欧亜三極構造の中で一極を占めるには、安全保障協力をも視野に入れた枠組み作りが必要だ。それは米国を排除するものではなく、日米安保条約を排除するものでもない。21世紀の新時代にふさわしい安全保障体制を東アジアに構築していこうという意思と目標を持つことである。
安倍首相訪中が、このような条件整備の出発点になることを期待したい。
(四) 東アジア共同体構築の三つのシナリオ
2004年末は東アジア共同体への期待が大きく高まった。昨年、米国と日本から反対の火の手が上がり、前述した如く、第一回東アジアサミットは日中対決の場となった。そこから言えることは、東アジア共同体のシナリオは次の三つが考えられる。
1 日中関係が割合早く改善され、東アジア共同体構想が着実に前進する。このシナリオは先月までは無理と見ていた。日本の政局は右傾化し、日本の世論はアブノーマルな状態にある、つまり理性的な意見に耳を傾ける雰囲気がなくなった、政治家も戦略的頭脳を持つ若い政治家が見当たらない、などからである。またここ一年、中国の東アジア共同体構築への熱はすっかり冷め、「急がば回れ」の姿勢に変わったからである。しかし、安倍首相の訪中が決まり、明るい見通しを描けるようになり、このシナリオの可能性が高くなった。
2 日本の対中偏見に基づく妨害が功を奏し、東アジア共同体構想が空中分解する。このシナリオは可能性が極めて小さいと見る。というのは、東アジア共同体の形成は歴史的流れであり、日本が妨害しようとしてもなし得るものではない。また中国の影響力を削ごうとしても無駄である。それからASEAN諸国が主体となってやる以上、日本は協力していかざるを得ない。第一回東アジアサミット会議では、結局、日本の主張が退けられる結果となった。東アジア共同体構想即中国覇権主義という渡辺利夫氏の独断が日本の主流になることは難しく、このような意見は漸次弱まっていこう。
3 日中の綱引きの中で、日本が孤立化し、ASEAN・中国主導の共同体が漸次形成されていく。中国はASEANと韓国とのきずなを着実に強化し、日本抜きの東アジア共同体の環境整備に力を注いでいく。それはASEAN+中国、ASEAN+韓国、中国+韓国の関係強化によってなされる。そのプロセスの中で、日本の態度が変わるのを待つ。また米国の権益を保証するよう配慮し、アメリカの理解を得るように努力する。米中戦略対話の重要な項目の一つは、東アジア共同体の形成志向が米国の権益にどう関わってくるかである。他方、日本は積極的にASEANに働きかけ、「民主主義」の価値観を強調して、中国の影響力を削ぐよう努力する。日中両国の抗争は来年に出される東アジア共同体グランドデザインで決着がつけられる。先月までは、もっとも可能性が高いのはこのシナリオと考えていたが、安倍首相訪中によって、このシナリオ第一位は第一のシナリオに譲ることとなった。
2005年10月5日
付記
10月8日、安倍首相が中国を訪問し、胡錦濤国家主席、温家宝首相、呉邦国委員長と会見した後、日中共同プレス発表を行った。この合意文書のランクづけは低いが、内容は極めて重要である。「戦略的互恵関係」が提起され、その枠組み作りが始まるからである。この合意文書には東アジア共同体に関わる次のような一節がある。「双方は、東アジア地域協力、日中韓協力における協調を強化し、東アジアの一体化のプロセスを共に推進することを確認した。」今年の第二回東アジアサミット会議は、日中協調の見通しがつくこととなった。

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