中国・アフリカ首脳会議が11月4、5日に北京で開かれた。アフリカ48カ国の首脳が一堂に会した会議で、極めて盛況であったと伝えられる。海外でも大きく取り上げられ、その戦略的意図が議論されている。中国側の報道と論文を中心に、歴史的流れ、中国・アフリカ協力フォーラムの発足、首脳会議の内容、中国の戦略的意図、日中協力の可能性などについて論じてみたい。
一 中国・アフリカ関係の歴史的歩み
今回の首脳会議は、「中国アフリカ協力フォーラム」第三回会議に合わせて、中国・アフリカ国交樹立50周年という名目で開かれた。しかし、中国の論調は古代からの中国・アフリカ交流史を説く。そこには2500年の歴史があり、一般の先進国での評論とは異なる重みがある。張象氏は、中国とアフリカとの関係史を歴史的に詳しく述べ、今世紀に入ってからの中国・アフリカ関係を第五期目としている。①中国の対アフリカ戦略を知る上で重要と思われるゆえ、その要点をここに紹介する。
第一期は紀元前6世紀から紀元6世紀までで、陸路による間接的交流時期としている。紀元前6世紀に、中東にペルシャ帝国(中国では「大夏」と呼ぶ)が誕生し、一時期、エジプトを占領したことがある。そのペルシャを介して、古代エジプトのナイル河文明と中国の黄河文明の交流が始まった。紀元前2世紀に張騫がペルシャを訪問し、エジプトのアレクサンドリア大都市の状況を聞き、それを漢の武帝に報告したという史実がある。その後間もなくして、エジプトの芸人が紀元前112年に西安に派遣された。更に、中国とエチオピアとの交流も行われた。
第二期目は紀元7世紀から15世紀までで、海陸両方のルートによって直接交流が行われた時期である。7世紀にアラビア帝国が起こり、北アフリカもアラビア化し、アフリカのイスラム化が進んだ。この900年は中国の唐、宋、元、明の時代に当たり、中国とアフリカの交流は著しく盛んになった。陸のシルクロードばかりでなく、海のシルクロードも利用され、交流が盛んに行われた。唐代杜環の『経行記』、唐宰相賈耽の「海外華夷図」、元代汪大淵の旅行記など、当時のアフリカについて書いた書物も少なからず出された。中でも、1405年から1433年にかけて、鄭和の大船隊が七回にわたってインド洋を渡りアフリカを訪問したことは、中国・アフリカ関係の発展を示す象徴的なことであった。2005年は鄭和第一回目航行の600周年に当たり、中国で盛大な記念活動が行われた。
第三期目は16世紀から中華人民共和国が誕生するまでで、アブノーマルな間接的交流期としている。1441年にエジプトの使者が明王朝に朝貢してきたという記載があるが、それ以降、中国・アフリカ関係の記載が殆どない。それは、明朝後期と清朝の時代には「海禁」政策が取られたこと、またヨーロッパの列強が海洋の覇権を握ることによって、海上ルートが封鎖されたためである。アフリカが植民地化してからは、中国とアフリカとの直接な関係は中断され、列強を通しての間接的往来となった。
第四期目は1949年から1999年までで、独立友好の直接交流が始まった時期としている。
この時期は前期と後期の二段階に分けることができる。前期は1950-70年代で、中国は政治優先の時代であったし、アフリカの多くは植民地で、まだ独立していなかった。1956年に中国とエジプトとの国交が樹立されたが、それは中国がアフリカの国と国交を結ぶ最初のものであった。エジプトのナセル首相が1955年のアジア・アフリカ会議に出席し、周恩来との親交が結ばれ、翌年の国交樹立に結びついたのである。
1950-60年代は反帝国主義、反植民地主義時代で、英国やフランスのアフリカ植民地で独立闘争が展開された。中国は独立闘争を支持し、独立を勝ち取った国には、経済的援助を行った。イデオロギー優先時代の援助で、政治的目的が主であった。1960年代後半から1970年代にかけては、中ソ分裂によって米ソ中の角逐が展開され、三カ国のアフリカへの援助合戦がくり広げられた。
後期は1980、90年代で、1979年に改革開放政策が取られるようになり、中国は専ら自国の経済建設に専念し、アフリカなどへの経済援助は余りしなくなった。そのため、1980年代は専ら米ソ間で援助競争が行われた。1990年代初め、ソ連が崩壊すると、米国のアフリカ援助の政治的目的がなくなり、米国の援助も激減した。そのため、アフリカ諸国は重大な経済的困難に陥るようになった。それに加えて、天安門事件によって西側諸国の人権問題関係での中国への圧力が強化されたこと、また台湾の李登輝総統が台湾独立志向を示すようになったことから、中国は政治的にアフリカ諸国の重要性が再認識するようになった。
1990年代後半になると、中国経済は市場経済の軌道に乗るようになり、目覚しい経済発展を遂げることとなった。それに合わせて、中国企業やビジネスマンのアフリカ進出も多くなり、政府レベルだけではない、政府・民間結合型の中国・アフリカ経済関係が形成されていった。こうした中で、中国のイニシアティブで「中国・アフリカ協力フォーラム」(閣僚レベル)が発足し、2000年に北京で第一回会議が開かれ、三年ごとに、中国とアフリカで交互に開かれることが決まったのである。
張像氏は協力フォーラムの始まった2000年からを第五期目とし、全方位協力の直接交流時代と位置づけている。
二 「中国・アフリカ協力フォーラム」の発足と成果
協力フォーラムの発足は国内外の情勢変化によるものであり、その発展プロセスは極めて効果的なものであった。設立の背景、政策の調整、第一回会議、第二回会議、6年間の成果を見てみたい。
(一) 協力フォーラム設立の背景
まず中国・アフリカの伝統的友好関係の視点からアフリカの新しいニーズに応える必要があった。1950-60年代に反帝国主義、反植民地主義、独立闘争を支持し、強固な友好関係を築いたが、その後、アフリカの政治的ニーズは減少し、経済的要素が重要になってきた。即ち、貧困化問題は解決されず、経済的周辺化が危惧されようになったのである。1980-90年代には、中国自体に経済力がなく支援できなかったが、2000年頃になってやっとその力がついてきた。
次に、中国経済の発展によって、中国の資源不足が顕著となり、石油や鉱物などアフリカの豊富な資源は極めて重要となった。近年、アフリカの種族紛争も緩和の方向に向い、正常な経済成長を遂げることができるようになったことも重要だ。IMF2004年9月の発表によると、1995-2003年のアフリカ平均伸び率は3.5%で、1980-94年間伸び率の三倍である。他方、競争力を強めつつある中国製品の市場としても、アフリカはその重要さを増してきた。
第三に中国・アフリカ間の経済摩擦が生じてきたため、それを防止・解決するための仕組みをつくる必要が出てきた。中国の安くて品質のよい商品が世界に出回りはじめ、アフリカも例外ではない。その結果、アフリカの地元産業が影響を受け、保護貿易や反ダンピング訴訟問題が多発するようになった。1990年代後半から、中国政府は企業の対外進出を奨励するようになったが、今後、この面での摩擦も激化する可能性がある。
第四に、米国をはじめとする西側諸国がアフリカを重視し出したことも重要である。米国は1990年代に一時、アフリカを重視しなくなったが、1990年代後半になるとアフリカの貧困問題とテロ事件発生に関心を払うようになり、9.11事件以降はテロ根絶のために、ますますアフリカを重視するようになった。アフリカの若いインテリ層には米国留学帰りが多いということもあって、アメリカの影響が拡大していく傾向も出てきた。中国としては、伝統的な中国の影響力を保持し、アメリカのアフリカでの影響力拡大を阻止したいところである。
最後に、前述した如く、台湾問題と人権問題でアフリカ諸国の支持を得たいという思惑がある。台湾での独立志向が強まり、台湾当局は「金銭外交」によって、アフリカでの影響力を拡大しようとしている。また天安門事件以降、米国をはじめとする一部国連加盟国は、毎年のように中国の人権問題を議題に取り上げる。アフリカは多くの票を持っており、中国の外交を展開する上で極めて重要なのである。
(二)中国政府の政策調整プロセス
中国の対アフリカ政策は、基本的政策は変わっていないが、それぞれの時代を反映して絶えず調整されてきた。協力フォーラムが設立されるまでの対アフリカ経済政策の調整プロセスを省みて見よう。
1949-1978年間の対アフリカ支援は経済的視点がなく、専ら政治・外交面での必要性に基いて行われた。その場合の基本的姿勢は、1963年、周恩来がアジア・アフリカ14カ国を訪問した際に提起した経済援助8原則に端的に表れている。②1970年代になると、文革の影響も受けて、ますます世界革命支援のイデオロギー的色合いが濃くなっていった。
1979年に改革開放政策が取られるようになってからは、今までの援助の仕方は効率無視で非合理的と反省され、1982年、中国政府はアフリカとの経済技術協力について「平等互恵、形式多様、効率重視、共同発展」の四原則を提起した。それまでの単なる政治的経済援助から経済的互恵の援助へと転換が図られたのである。その結果、1980年代においては、中国は援助対象国で建設したプロジエクトに対する管理協力、代理管理・経営、賃貸経営などの方式で、既存の援助プロジエクト成果の活用を図った。新規援助事業は極めて少なく、例えば人材養成については1985年から1999年までにアフリカ46カ国905名の技術者を養成したに過ぎなかった。即ち、対アフリカ支援は有名無実化した。
1995年下半期から中国は対外援助方式の改革に乗り出し、優遇借款と対外援助合資方式を積極的に導入し、「輸出振興型」の援助形態が顕著となった。即ち、対外援助によって海外への経済進出をバックアップする「貿易、投資、援助三位一体型」方式を導入したのである。これは戦後、日本が行った対外援助方式と似ている。こうして、1999年までに24のアフリカ国と39の優遇借款契約が結ばれた。しかし、経済的力が弱く、しかも市場経済の枠組みのできていないアフリカにおいては、協力の経済的効果は極めて限られていた。
1990年代後半の経験を踏まえて、2000年4月、中国国務院は「新情勢下においてわが国の対外援助工作をより一層立派にやることについての若干の意見」を策定し、対外援助の規模を徐々に拡大する方針を打ち出した。これをバックとして、10月の協力フォーラムが準備されたわけで、ここにおいて、政府の役割と市場の機能を結びつけた新しい協力方式が生まれることになった。
(三) 第一回中国・アフリカ協力フォーラムの開催
2000年10月10から12日にかけて、アフリカ44カ国の閣僚80余名が参加して、第一回中国・アフリカ協力フォーラムが北京で開催された。朱鎔基首相はフォーラムで「団結、協力を強化して、共同発展を実現しよう」と題して演説を行い、次の点を強調した。1)双方の優位性を発揮させ、経済発展を加速し、貧困と立ち遅れから脱出する。2)双方の国際協力を強化し、経済利益と安全を守る。3)南南協力を深め、南北対話における途上国の地位を高め、公正で合理的な新政治経済秩序の構築を推進する。4)「平等互恵、形式多様、効率重視、共同発展」の道を探る。5)市場型経済を促進し、企業を主体とし、政府と企業の協力を強化し、経済協力の質を高める。そして、貿易、投資、援助、その他(農業、交通、衛生、資源開発など)及び債務問題など五方面での協力内容が示された。
閣僚会議は主として公正で合理的な国際政治経済秩序の構築と双方の実質的内容のある協力を強化することについて議論された。そして10月12日、「中国・アフリカ協力フォーラム北京宣言」と「中国・アフリカ経済社会発展協力綱領」が採択された。
北京宣言の主な内容は次の通りである。
1 「既存の国際システムは不公正、不平等」で「世界の平和と発展の時代的流れに合わない」「公正で合理的な国際政治経済新秩序を確立してのみ、国際関係の民主化を実現でき、発展途上国が国際的政策決定に効果的に参加できる。」中国とアフリカが国際問題について緊密に協議することは「発展途上国の団結強化と国際新秩序構築を更に推進する上で重要な意義がある」。
2 「グローバル化は各国経済をより一層相互依存させているが、現在、それは主として先進国に有利で、多くの発展途上国、とりわけアフリカの弱小国と最未発達国には不利であり、その経済安全と主権は重大な挑戦に直面している。」
3 「如何なる国も集団も、自分の意志の他国への押し付け、あるいは如何なる口実による他国への内政干渉、あるいは他国への一方的な強制的経済措置を行う権限はない。先進国と発展途上国は平等な対話と協力を強化しなくてはならない。」
4 「人権問題の政治化及び経済援助を提供するさい人権条件をつけるのは、それ自体が人権に反しており、断固反対すべきだ。」
5 「アフリカ諸国が地域協力を強化し、アフリカ連盟樹立を通して団結と協力を強化することを歓迎し、国際社会と国際機構がアフリカ諸国のこのような努力を支持するよう呼びかける。」
6 アフリカ諸国と国際社会の「エイズ、コレラ、その他伝染病および貧困除去への努力と行動を評価し」、「世界団結基金設立の提唱を歓迎し、関係機構がこの基金を大いに支持するよう呼びかける。」「反テロリズム面で協力を強化し、各種形態のテロリズムを除去するために、共に努力する。」
7 「南北が共に発展するのを実現しなくてはならない。発展途上国はより一層団結と協力を強化して、利を得て害を避け、グローバル化の挑戦に共に対処しなくてはならない。」中国とアフリカは「南南協力の枠組みの中で長期安定、平等互恵の新型パートナーシップ関係を確立する。」
8 「アフリカ債務の減免とリスケジュールにおいて、政治条件を課すべきでなく、政府の発展援助削減を代価とすべきでない。」
これらの内容から分かることは、米国が主導する既存の国際政治経済秩序に厳しい批判の目を向けていて、対決的色合いが濃い。
もう一つの「中国・アフリカ経済社会発展協力綱領」は、「活力に満ちた新型の戦略的パートナーシップ関係」「21世紀において持続的発展可能な新型の戦略的パートナーシップ関係」を作り上げる」とし、次のようなことを強調している。
1)巨大な協力潜在力を発揮させるために、「戦略的誘導」を行う。2)中国はアフリカ諸国に「無償援助、優遇借款、無利子借款」方式で援助を提供する。3)アフリカの一次産品輸出に依頼する状況を変える。4)国際ルールに従って紛争などを公正に解決する。5)貿易政策の協調を図り、国際貿易協議で双方に有利なように努力する。6)アフリカ製品の優先的輸入を奨励し、貿易不均衡の是正に努める。7)中国・アフリカ工商連合会を作り、ビジネス対話システムをつくる。8)特別資金を提供し、中国企業の対アフリカ投資を奨励する。9)中国に中国・アフリカ製品展示販売センターを設立し、貿易の促進、とりわけアフリカ製品の中国市場への進出を図る。10)近代的な適正技術及び管理技能を提供する。11)中国・アフリカ間の金融協力を推進する。12)2年内に重債務貧困国と最未発達国の100億元の債務を減免する。
綱領は既存の政治経済秩序へのアンチテーゼとしての中国の取り組み姿勢が示された。市場原理を取り入れつつも、周恩来の経済援助8原則の精神が生かされていることが伺える。
(四)2003年第二回協力フォーラムの開催
2003年12月15、16日、第二回フォーラムがエチオピアの首都アディスアベバで開かれ、「アディスアベバ行動計画(2004-06年)」が採択された。この年に首相となったばかりの温家宝が出席し、演説の中で次の四点を強調した。1)お互いに支持し合い、伝統的友好関係を引き続き推進していく。2)話し合いを強化し、国際関係の民主化を促進する。3)立場の協調を図り、グローバル化の挑戦に共同で対処する。4)協力を深め、中国・アフリカ友好関係の新局面を切り開く。
なお、この会議では政治経済面の協力以外に、文化、科学技術、軍事分野の協力強化も話し合われ進展を見た。また、存在する次の三つの点についても話し合われた。一つは中国の輸出超過という貿易不均衡の問題である。二つ目は友好協力の後継者養成問題である。三つ目は中国企業の対アフリカ投資が不活発なことである。
そして、中国側はこの会議で、次のような公約を表明した。1)三年以内に各種人材を1万人養成する。2)最未発達国にゼロ関税の優遇策を提供する。3)八つの国を中国の観光対象国に指定する。4)アフリカ文化の中国での伝播を支援する。5)民間交流の促進を図る。
第二回会議では同時に中国・アフリカ第一回企業家大会が開かれ、双方500社余りの企業が出席し、10億ドル余りの取引意向書が交わされた。
(五)過去6年間の経済協力成果
今回、2006年の第三回閣僚級協力フォーラムが12月3日に開かれたわけだが、中国アフリカ外交関係開始50周年を記念して、4日と5日には中国・アフリカ首脳会議が開かれた。アフリカには全部で53カ国があるが、台湾と外交関係を結んでいる5カ国を除いて48カ国が参加し、42カ国の元首または首脳が集まった。このように多くのアフリカ指導者が参加したのは、この六年間に中国・アフリカの協力関係が着実に深まったからである。それを貿易統計で見てみよう。
2001-05年間の中国・アフリカ貿易 (単位:億ドル)
年 総額 中国の対アフリカ輸出 中国のアフリカからの輸入 中国の貿易収支
2001 107.9 60 47.9 12,1
2002 123.9 69.6 54.3 15,3
2003 185.4 101,8 83.6 18.2
2004 294.6 138,2 156.5 -18.3
2005 397.4 169.5(1―11月) 189.5(1―11月) -20(1―11月)
資料出所:劉賽力論文、『亜非縦横』2006年第3期号、14ページ
先ず貿易額は五年間で約100億ドルから400億ドルへと四倍になった。2006年は500ドルを上回ると見られている。貿易収支もアフリカの入超から出超に変わり、貿易不均衡問題はアフリカ全体としては解消した。
2005年5月までに11の国で「中国貿易投資促進センター」が設立され、中国企業の対アフリカ投資は2005年末時点で、800社余り、累計62.7億ドルに達した。③また、2005年1月1日から最未発達国30カ国に対して190品目の輸入税をゼロにしたため、関連商品の対中国輸出は2倍以上になったとのことである。
農業協力、人材養成、金融協力などの面でも、中国は公約を果たし、アフリカ諸国の信頼と評価を得ることとなった。
三 首脳会議の内容
中国・アフリカ首脳会議の開催については、かなり早くから周到な準備がなされたようである。2006年1月12日、中国当局は「中国対アフリカ政策文献」を発表し、はじめて全方位協力の概念を提起した。そして4月に、胡錦濤国家主席がモロッコ、ナイジェリア、ケニヤの三カ国を訪問し、続いて6月17日に温家宝首相がアフリカ7カ国を訪問、首脳会議開催のPRに努めた。
(一)「中国対アフリカ政策文献」の作成
首脳会議の開催は協力フォーラムの発展の当然の帰結であろうが、今世紀に入って、西側先進諸国がアフリカを戦略的に重視するようになったことと密接な関係がある。2005年7月、英国のスコットランドで開かれた先進国八カ国サミットは「アフリカの貧困を共に除去する」ことを主要議題とし、アフリカ援助計画を採択した。また2005年12月、EUが「対アフリカ戦略文献」を発表した。今日の貧困に悩むアフリカはヨーロッパ植民地主義によってもたらされた。アメリカ繁栄の基礎もアフリカからの奴隷によって築かれた。しかも、資本の原理による先進国の対アフリカ支援は、実際問題として真の解決には繋がりにくい。かつて半植民地の経験をもつ中国が、別の視点から「対アフリカ政策文献」を打ち出すのはそれなりの独特な意義がある。
文献は「アフリカは発展途上国が最も集中している大陸で、世界の平和と発展を実現する重要な勢力」としている。そして、この文献を作成する目的は「中国の対アフリカ政策の目標と措置を明示し、今後一定期間の双方の各分野での協力を指し示し、中国・アフリカ関係の長期的安定的発展と相互利益の協力を絶え間なく新段階に進めるためである」としている。
文献は、第一部分:アフリカ地位と役割、第二部分:中国とアフリカとの関係、第三部分:中国の対アフリカ政策、第四部分:中国・アフリカ全方位協力の強化、第五部分:中国・アフリカ協力フォーラムと今後の行動、第六部分:中国とアフリカ地域組織との関係、などからなっている。
第一部分は、アフリカは「悠久な歴史と広大な土地を有し、資源豊富で、巨大な発展潜在力を持つ」としている。第二部分は「中国・アフリカは長い友誼の歴史を持ち、その基礎は堅固である」「新中国の成立とアフリカ諸国の独立は、中国・アフリカ関係に新紀元をもたらした」とその緊密振りを強調している。第三部分は、双方の根本的利益を出発点として、「政治的には平等な相互信頼関係、経済的には協力のオールウイン関係、文化的には交流での相互学習」の新型戦略パートナーシップ関係をつくるとしている。第四部分は、政治、経済、社会(教育、科学、文化、衛生を含む)、安全の四分野の協力が述べられている。第五部分は、協力フォーラムの仕組みと内容を絶えず改善し、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」計画に合わせていくとしている。第六部分は、2002年に創立されたアフリカ連盟(AU)を高く評価し、「政治的安定及び経済の発展と一体化への積極的役割」を支持し、「各組織との友好協力を強化したい」としている。
この文献は、中国の対アフリカ戦略を全面的に述べており、大いに研究する価値がある。
(二) 胡錦濤の首脳会議での演説
胡錦濤主席は11月4日のサミット開幕式の演説で、次の五つの分野で協力を強化したいと述べた。一つは平等で相互信頼の政治関係を確立すること、二つ目は相互利益・オールウインの経済協力を広げること、三つ目は相互に学び合う文化交流を拡大すること、四つ目は均衡和諧のグローバル発展を推進すること、五つ目はお互いに支持し合う国際協力を強化することである。そして次の八項目の具体的政策措置を打ち出した。
(1)援助規模を拡大する。2009年の対アフリカ諸国援助規模を2006年の2倍にする。
(2)今後3年内に、アフリカ諸国に30億ドルの優遇借款と20億ドルの優遇貿易信用を提供する。
(3)中国企業の対アフリカ投資を奨励・支持するために、中国・アフリカ発展基金を創設し、基金総額は徐々に50億ドルにまで増やす。
(4)アフリカ諸国連合の自己強化と一体化プロセスを支持するために、アフリカ連盟(AU)会議センターの建設を支援する。(これは中国がアフリカの統一を如何に重視しているかを示す上で、シンボル的な意義がある。)
(5)中国と外交関係のあるすべてのアフリカ重債務貧困国と最未発達国の期限2005年末までの政府無利子借款の債務を免除する。
(6)アフリカにより一層市場を開放し、中国と外交関係のあるアフリカ最未発達国の、無関税待遇を受けている対中輸出商品品目を190から440余りに増やす。
(7)今後3年内に、アフリカ諸国の中に3乃至5つの経済貿易協力区を設立する。
(8)1)今後3年内に、1万5000人の各種人材を養成する。2)100名の高級農業技術専門家を派遣する。3)10の特色ある農業技術モデルセンターを設立する。4)30の病院建設を援助すると同時に、コレラ予防支援のために3億元の無償援助を提供し、30のコレラ治療センターの設立などに使う。5)300名の青年ボランティアを派遣する。6)100ヶ所の農村学校を支援する。7)2009年までに、アフリカ留学生に提供する政府奨学金人数を現在の年延べ2000人から延べ4000人に増やす。
この八項目援助から、中国が如何に対アフリカ援助を強化しようとしているかが分かる。
(三)「北京サミット宣言」
首脳会議は5日、「北京サミット宣言」と「行動計画」(2007-09年)を採択した。
「北京サミット宣言」は先ず「友誼、平和、協力、発展」を主旨としたフォーラムは、中国・アフリカ双方が「集団対話する重要なプラットフォームになり、実務協力の効果的仕組みとなった」と評価し、「その役割を一層発揮させる」とした。宣言の最も注目すべき点は、「政治的には平等・相互信頼、経済的には協力・オールウイン、文化的には交流・相互学習」を内容とする「新型の戦略パートナーシップ関係」謳ったことである。そして、それを実現するための次の七項目の具体的方針を示した。即ち、1)「ハイレベル指導者の往来を強化し、戦略対話を展開する」2)「相互利益の協力を強化し、協力分野を広める」3)「国政と発展の経験交流を強化する」4)「人文対話を強化し」、人民の往来を「促進する」5)「国際協力を強化し」、安全問題に「共同で対処する」6)「中国・アフリカ協力フォーラムの発展を促す」7)「友好的協議を通じて、協力の中で生じた新課題、新挑戦を適切に処理する」などである。
注目すべきことは、6年前の北京宣言で強調された「公正で合理的な国際政治経済新秩序の確立」に全く触れていないことである。
(四) 「北京行動計画(2007-09年)」
今後三年間の政治分野、経済分野、社会発展分野、国際活動分野などでの協力計画がより具体的に示された。
(五) 温家宝の演説
4日、第二回中国・アフリカ企業家大会が開かれ、温家宝総理が開幕式で「中国・アフリカ協力を強化し、相互利益・オールウインを促進しよう」と題して演説を行った。その中で温家宝は次の五点を今後の三年目標として掲げた。(1)貿易の規模を拡大する。2010年には1000億ドルにする。(2005年は397億ドル)(2)投資協力を強化する。中国企業が「適性技術と管理経験を移転することを奨励する」。発展基金を創立して、中国企業の進出を奨励・支持する。(3)援助レベルを高める。「自主発展能力の向上を支援する。」「公益事業プロジエクトをより重視する。」「国際ルールを遵守し、公開、公正、公平、合理、透明を堅持する。」(4)企業協力を促進する。「中国・アフリカ連合商工会を設立する。」(5)人材養成を増やす。
文献、サミット宣言、胡錦濤演説、温家宝演説から言えることは、経済交流を中心に、中国アフリカ関係は今後、ますます深まっていき、世界の政治と経済に重大な影響を与えることが予想される。
四 中国の戦略的意図
中国とアフリカとの関係の深まりに対して、当然のことながら、歴史的に負い目を背負う欧米から非難を浴びせられる。今回の首脳会議開催を契機に、先進諸国マスメディアの対中国非難が巻き起こり、資源争奪論、独裁国家支援論、新植民地主義論などが広まった。それに対して、温家宝首相が昨年アフリカを訪問した際、反論を加えたが、今回、エチオピアのサイユーム外相とエジプトのアブルエイト外相が、5日に行われた共同記者会見で反論した。
資源争奪論に対して、李肇星外相は「エネルギー協力では、中国は国際ルールを順守し、公開且つ透明である。中国は石油資源の独占を求めず、他の国のアフリカとの協力を排斥しないし、影響を与えるものではない」と反批判した。
また独裁国家支援論に対しては、エチオピアのサイユーム外相が「アフリカの独裁者は中国で新しいホームを見つけた。彼らが中国へ行くのは西側諸国の彼らへの批判を避けるため、――――これらの視点は正しくない」と批判した。そして中国新植民地主義論に対しては、エジプトのアブルエイト外相が「アフリカには中国の植民地主義など全くない。過去50年、引いては今後500年にわたって、中国とアフリカは平和友好の関係を維持する。それは植民地主義関係などでは全くない」と批判した。
上述の三論は古い分析視点で、皮相的である。「被告席」に立たされる欧米先進国からの視点だけではなく、発展途上国からの視点も取り入れるべきである。そうすれば、「世界最大の発展途上国中国と発展途上国が最も集中しているアフリカ」との戦略的関係が見えてくる。それを短期、中期、長期の三つに分けて論じてみたい。
(一) 短期的戦略目標(現在―2020年)
先ず、資源開発や貿易投資の協力を強化して、中国・アフリカ間の相互補完関係を構築していく。アフリカ経済はテークオフに向けて前進し、経済成長率を現在の約5%からNEPAD計画の掲げた7%に高めていく。そうした中で、ミレニアム開発目標(MDGs)(2000年に国連で1日1ドル未満の人口を2015年までに半減させるという目標を設定)を達成し、貧困問題解決の土台を築いていく。他方、中国は引き続き高度成長を維持し、全面的な小康社会を実現する。
次に、政府誘導、企業主体、市場運営の経済モデルを構築する。温家宝は「企業は経済貿易協力の主体である。中国・アフリカ経済貿易協力は政府が誘導し、企業を主とし、市場が運営する方式で行い、企業の役割を十分に発揮させる」と語った。また宣言は「協議を通じて、協力によって生じた新課題、新挑戦を適切に処理する」としているが、一部中国企業の秩序を無視したやり方への「政府誘導」を示している。経済特区の建設など、中国改革開放政策の経験を踏まえたモデルの構築もアフリカで試される。
第三に呼び水としての経済支援によって南北協力を促進する。現在、ワシントン・コンセンサスという先進国の基準が世界各国に押し付けられ、それが必ずしも良い結果が生むとは限らない。また先進国の援助が約束されても、政治的条件が課せられるために実行されない場合が多々ある。中国の経済支援は発展途上国の実情に基いており、良き先鞭をつける役割を果たす可能性がある。宣言は「国際社会がアフリカの平和と発展を求める努力を奨励・支援し、アフリカ諸国の紛争の平和的解決と戦後再建により多くの援助を提供するよう呼びかけ、とりわけ先進国が政府の援助を増加し、市場の開放と債務減免の公約を確実に実行するよう呼びかける」「南南協力と南北対話を強化し、WTOがドーハラウンド談判を復活させ、グローバル経済の均衡的、協調的、持続可能な発展を推進し、各国が成果を共有し、普遍的に発展し、共同繁栄を実現するよう呼びかける」としている。また温家宝首相は、世界各国及び国際機構が「アフリカ諸国への支持と援助を増加することを歓迎する」と語り、中国政府は中国企業のアフリカ進出を通して「技術移転の促進と自主発展能力の向上に努める」としている。中国が率先して南南協力の手本をアフリカで示して、南北対話を促そうとする戦略が見て取れる。
第四に、アフリカが一つにまとまり、多極化の一極を形成していく。現在、「一超多強」の時代にあり、米国のイラク侵攻を許してしまった。その結果、今、米国自身が困難な状況に陥っている。世界の平和と安定には、また米国が健全なリーダーシップを発揮するには、相互チェックが効く多極化均衡体制が望ましい。アフリカがAUとしてまとまったことは、植民地支配によってばらばらとなったアフリカが一つになって国際社会での発言力を高めることを意味する。それは、国際政治にプラス要因として重要な意義を持つ。
第五に、中国が国際社会の和諧に向けてより積極的な役割を果たす。胡錦濤は「中国はアフリカ内部での意見相違と紛争の解決に建設的な役割を発揮したい」と述べた。また胡錦濤はインドを訪問した際に、南アジアの紛争解決に「建設的役割を発揮したい」と述べたことがある。アフリカは53カ国の中小国に分かれ、内部紛争が絶えない。56の民族からなる中国は、紛争や問題の処理面で豊富な経験を持ち、加えて経済手段も併用されれば、今後、かなり建設的な役割が発揮できる可能性がある。胡錦濤政権になって、中国は今までの引っ込み気味から積極的に前に出る姿勢に変わってきたが、わりあい信頼されているアフリカは、中国に絶好の場を提供する。
(二)中期的戦略目標(2020-50年)
前述した如く、2000年に協力フォーラムが発足した際には、「公正且つ合理的な国際政治経済秩序の構築」が声高に叫ばれたが、6年後の首脳会議では極めて控え気味となった。胡錦濤は「中国・アフリカ関係の絶え間なき発展は、中国とアフリカの発展進歩に有利であるだけでなく、発展途上国の団結協力に有利であり、公正で合理的な国際政治経済秩序構築の推進にも有利である」と述べただけである。また北京宣言にはこの言葉は書き込まれなかった。それは、先進国主導の国際秩序という現実を前にして、その改革は極めて困難であり、非現実的であるからである。ただし、中期戦略目標としては、既存の国際政治経済秩序の改革は不可欠であり、依然として提起されている。胡錦濤の言葉からは、中国とアフリカの間で公正且つ合理的な国際政治経済秩序構築のモデルケースを示し、それを世界に広げていこうという漸進的拡大志向が伺える。1648年のウエストフエリア条約から始まったと言われる近代国際政治の基本的枠組みを、時間をかけて徐々に改革して行こうということである。
(三)長期的戦略目標(2050-2100年)
胡錦濤は「中国とアフリカは何れも人類文明の発祥地で、何れも希望に満ちた熱い地である」と語り、宣言は「異なった文明と発展モデルは、お互いに学び合い、相互に促進し合い、調和よく共存すべきである」と書かれている。欧米先進諸国の価値観の押し付けへの批判と読み取れる。中国やインドの勃興、更にはアフリカの勃興によって、今や西側世界の優越性が徐々に衰えていく人類史的地殻変動が起こり始めた。中国は、諸文明の共存と融合が進む新しい時代への移行を長期的戦略目標として視野に入れている。
五 日中協力の可能性
ここ6年、中国のアフリカへの働きかけが目立つが、1980-90年代には、日本の対アフリカ戦略は中国を上回る先見性を持っていた。それは、早くも1993年にアフリカ開発東京国際会議(TICAD)を開催したことに表れている。当時、ソ連が崩壊した後で、殆どの国が対アフリカ援助を打ち切り、アフリカ諸国がたいへん困っていた時期であった。日本はそのチャンスをうまく掴んだのである。
1993年、日本政府は国連開発計画(UNDP)、アフリカのためのグローバル連合(GCA)、国連アフリカ及び最貧国特別調整官事務所(OSCLAL)の共催で「アフリカ開発東京国際会議」(TICAD)第一回会議を開き、「アフリカ開発に関する東京宣言」を採択した。1998年には第二回会議が開かれ、「東京行動計画」が発表された。そして2003年には新たに世界銀行も共催者に加わって第三回会議が開かれ、10年間のアフリカ開発支援を振り返り、その哲学を確認し、今後の支援の在り方を話し合った。
第三回会議では、10年間の開発支援を総括した「10周年宣言」が採択された。それには、アフリカ開発のための理念(開発における自助努力とパートナーシップの原則)、アフリカ開発における新しい動き(アフリカ連合の誕生と「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」計画の提起など)、日本の具体的支援(10年間で二国間ODAを120億ドル提供)及びその成果などが謳われた。TICAD IIIではまた、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成、アジア・アフリカ協力の推進、アフリカにおける紛争解決および平和とグッド・ガバナンスの定着、民間セクターと市民社会の参加拡大などにも焦点をあてて議論が交わされた。
それから過去10数年間、日本はTICADの討議を踏まえて対アフリカ支援を行ったばかりでなく、南南協力(アジア・アフリカ・イニシアティブ)を提起し、アジアの成長経験をアフリカに生かすよう、積極的にリーダーシップを発揮してきた。例えばアジア・アフリカ諸国の商工会議所のネットワーキングの推進、アジアの開発経験をアフリカに移転するための専門家会合の開催などがある。また経済成長を通じた貧困削減を目指して、食糧農業農村開発、インフラ整備、貿易投資の促進、債務救済、経済構造改革支援、国際開発金融機関を通じた支援なども行ってきた。現在、日本は2008年の第四回会議の開催に向けて積極的に準備をしている。
以上を見てみると、対アフリカ支援において日本の方が中国よりも勝っているかのように見える。しかし、実際には、常任理事国入り問題で見せ付けられたように、日本の影響力は中国に及ばない。原因は日本が先進国としてワシントン・コンセンサスを順守しているからだと思われる。本来日本は、東アジア方式を生み出し、ワシントン・コンセンサスとは一線を画するものであった。しかし、米国への配慮と先進国としての優越感がアフリカ諸国を遠ざける。
中国のアフリカへの影響力は、欧米からの激しい非難と抵抗にも係わらず確実に拡大していこう。但し、アフリカからの中国への期待は余りにも大きく、それに十分対応できないというのが実体だ。また日本の今までのアフリカ支援を効果的に継続するには、単独ではかなり難しい。アジア・アフリカ・イニシアティブも十分に機能しているとは言い難い。日本の成長力が落ちているため、日本とアフリカの間で相互利益のシステムを作りにくいという現実がある。そこで、日中首脳会談が動き出した今年を契機に、対アフリカ支援の日中協調体制をつくるよう提案したい。
事実、今世紀はじめ協力フォーラムが発足する頃、中国社会科学院西アジア・アフリカ研究所所長楊光氏が学術交流で日本を訪問した際、日中協力による対アフリカ支援を提案したことがある。しかし、当時、中国の潜在力は十分に評価されておらず、殆ど相手にされなかった。中国の存在感がますます大きくなった今日においては、双方が協力し合う条件が整いつつある。
アフリカの貧困からの脱皮、ミレニアム目標の達成、政府プラス市場の枠組み作り、アフリカ統一通貨の創出などで日中両国が協力することが考えられる。具体的手法としては、日中の有識者がまず交流を行うことである。それを踏まえて日中非(アフリカ)の有識者会合も持つのがよい。アフリカと関係の深いインド有識者も加わることが考えられる。このような有識者の交流を踏まえて、政府間の協調体制も徐々に形成されていこう。2008年の第4回TICADと2009年の第4回中国・アフリカ協力フォーラムには、お互いにオブザーバーを派遣して、相互理解と相互信頼を深めるよう提案したい。
結びに代えて
中国は遠大な戦略をもって対アフリカ政策を展開している。それに対し、日本の戦略はせいぜい20年間で、現在起きている地殻変動が見えていないように感じる。中国事情について、日本は余りにも多くの情報に接しているため、その歴史的流れを見失いがちである。最近は退潮気味となったが、「中国経済崩壊論」はその最たるものだ。今年の秋に開かれる第17回党大会で、和諧社会と和諧世界の構築を目指す新路線が決定される。中国・アフリカ首脳会議はその新路線を先取りしている。この論文が読者の中国への理解を深め、東アジアでの日中協調体制、アフリカ支援での日中協調体制の形成に少しでも役立てば幸いである。
2007年1月14日
註
① 張象著「中非関係源遠流長的新啓示」、『西亜非州』2006年6月号。
② 8原則の要旨は、1)平等互恵の原則にのっとって対外援助を行う、2)援助においては受入国の主権を厳格に尊重する、3)如何なる条件もつけない、4)如何なる特権をも求めない、5)援助を提供する目的は、受入国の対中依存をもたらすものではない、6)援助国の自力更生・独立発展への歩みを手助けする、などである。
③ 李群英著「全天候的好朋友」、『世界知識』2006年第22期、31ページ。

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