中国と日本の関係は昨年秋から好転し始めたが、依然として多くの問題を抱えている。それらを如何に解決し明るい未来を切り開くかを論じてみたい。まず歴史的視点に立って中日関係の現状を位置づけ、現在抱える問題の解決策と未来に向けての方策を論じる。
一 歴史的転換期にある中日関係
古代と中世において、中国は東アジアの中心として君臨した。日本は中国から多くを学びつつ、独自の文化を形成していった。1894年の日清戦争以前においては、日中関係は基本的に友好的関係が持続されてきた。ところがそれ以降は、日本の中国への侵略がエスカレートし、約50年にわたって対立・敵対関係が続いた。日本は列強の仲間入りをしたのに対し、中国は半植民地状態にあって、日本人口の13倍余と約26倍もの領土を有するにもかかわらず日本に蹂躙されるという屈辱的辛酸をなめたのである。
1945年、日本は連合国側の無条件降伏を受け入れ、中国は戦勝国の一国となった。しかし、中国国内では国民党と共産党の内戦が始まり、国内経済建設は滞り、中国外交は十分な展開を見ることができなかった。
1949年10月、中華人民共和国が誕生したが、冷戦構造の中、中日関係は依然として敵対関係が続いた。それは、1972年に国交が正常化されるまで23年間続いた。この間、日本は米国をはじめとする西側諸国と密接な関係を保ち、経済復興と高度成長を成し遂げた。それに対し、中国は伝統的社会主義計画経済を実行し、経済的挫折を味わうこととなった。とりわけ、大躍進運動、人民公社運動、文化大革命などは、国民経済に大きな破壊をもたらした。こうして、先進国日本と発展途上国中国との格差が縮小するどころか、逆に拡大していったのである。
1970年代の初め、米中関係が改善の方向に向かい、1972年、中日国交関係は正常化した。それにより、経済面での協力関係は一定の進展を見せたが、中国の国内体制と基本的路線は旧態依然であったため、十分な発展を見ることはできなかった。但し、中国と米日など先進国との政府間交流が進んだことにより、西側先進国の発展と実情をより客観的に見る目が養われていった。こうした中で、いままでの伝統的社会主義から脱皮するため改革開放政策がとられなくてはならないという意識が、中国国内の一部インテリ層の中で醸成されていった。
1976年9月、カリスマ的存在であった毛沢東が死去すると、鄧小平によって政治中心主義から経済建設中心主義への路線転換が行われた。まず経済改革と対外開放が進められ、それは更に政治社会全体の改革へと進んでいった。1979年から実施された改革開放政策は西側先進諸国から歓迎され、とりわけ隣国日本の大歓迎振りは著しかった。日本はその経済技術面での優位性を発揮して、中国への影響力を拡大し、中日関係の発展を促すことができるばかりでなく、日本の国際的地位の向上にもつながるからである。1980年代から90年代前半にかけて、日本は中国に巨額のODAを提供したばかりでなく、経済の市場経済化をどう進めたらよいか、戦後日本経済発展の経験を踏まえて知的支援を行った。1980年代は中日関係の黄金時代と言える。
1990年代半ばになると、日本のバブル崩壊の後遺症が顕在化し、米国を中心とした世界経済のグローバリゼーションが急速に進む中、日本が編み出した東アジアモデルへの評価が低下していった。日本国内においても新自由主義の影響を受け、東アジアモデルの高度化を図るのではなく、アメリカナイズが進んだ。それは中国にも大きな影響を与え、新自由主義が謳歌される中、東アジアモデルへの評価は低くなっていった。しかも、日本経済が停滞する中で、中国経済は不均衡問題を抱えながらも大きな発展を見た。中日間に力関係の変化が起きたのである。このような国際環境の変化は、中日関係にも微妙な影響を与えることとなった。
日本人は長い間、アジアの盟主或いは唯一の先進国ということで、ある種の優越感を持っていた。即ち、戦前は大東亜共栄圏の盟主として君臨しようとしたし、戦後は、敗戦による反省期はあったが、1970年代に入ると世界第二の経済大国として、又もや優越感に浸ることとなった。戦前の軍国主義時代のように、露骨に、大和民族は優秀であり、アジアの支配者になるべきとは言わないが、日本は他国に勝る国、日本民族は他民族より優秀であるという心理状態に陥った。ところがここ10年、隣国の中国が勃興し、ますます世界の注目するところとなってきた。このため日本の優越感は大きな挑戦を受けることになり、心理的圧迫感を持つに至った。
日本の右寄り学者や政治家は、国民の漠然とした不安感を利用して狭隘なナショナリズムを煽り、日本全体の世論を右傾化させることとなった。勃興する中国、日本侵略を忘れない中国にどう対応したらよいか。一部の人は、中国の成長は歴史的必然であり、中国共産党の指導力にもそれなりの評価を与え、両国の良好な関係を築くべきだと考える。他の一部の人は、中国経済社会の問題点を取り上げ、中国共産党の崩壊を予言し、日本中心のアジアを構築しようとする。この二つの中間に多くの人たちがいて、ある種の戸惑いを感じている。日本社会の右傾化とは、この中間層が後者の影響をより多く受け、情緒化していったことである。心理的調整期を経て、素直に中国の台頭を受け入れるようになるには、一定の時間を必要とする。
他方、中国の人たちには、近代になって列強の侵略を受け半植民地化したことへの屈辱感がある。とりわけ日本の侵略に対する怨念は根深い。つまり国民の中に被害者意識が強く残っているのである。13億の人口を有する中国は、改革開放政策をとるようになってから30年間、年率10%近い高度成長を遂げ、その国際的存在感は日増しに高まっている。責任ある国際国家になるためには、被害者意識からなるべく早く脱却し、より冷静且つ客観的にものを見る必要がある。こういう意味で、中国もまた心理的調整期にある。
中国の指導者及び有識者にとって、国際情勢の変化、中国の国際的地位向上を認識することは容易であり、対外政策はすでに調整が行われつつある。しかし、一般の人々が被害者意識から抜け出すのはまだ容易ではない。一人当たりの経済レベルは、世界でも100位以下という現状において、責任ある国際国家を自覚せよといっても、所詮、無理な話である。指導層と一般庶民との意識乖離は、今後一定期間免れ得ない。日本の右翼政治家や学者の論調を利用して、中国の一部インテリ層が、狭隘なナショナリズムを煽る社会的基盤が存在するのである。生活水準が普遍的に高まるにつれ、この社会的基盤は崩れていき、乖離現象は自然に解消していくであろう。
今世紀に入って、日中関係がギクシャクしだした背景には、日中両国がそれぞれ心理的調整期にあるということだ。短兵急の関係改善は非現実的という所以である。
二 中日間に横たわる主要問題点
中日間には多くの問題が横たわっているが、主として次の五つが重要と考える。それぞれの問題の解決方法について、私見を述べてみたい。
1 歴史認識問題。第二次世界大戦の遺留問題を今世紀に持ち越したことにおいては、中日両国の政治家、とりわけ日本政治家の責任は重い。ドイツ政府がナチスの犯罪行為を清算し、フランスなど周辺諸国の信頼を勝ち得るに至ったように、日本政府も軍国主義と一線を画し、周辺諸国の信頼を得るべきである。しかし、60年余も経た今日、日本に今すぐドイツのようにけじめをつけよと言っても無理な話である。日本とドイツとは異なった事情もあることだし、時間をかけて共通認識に達するよりほかはない。それぞれの国は独自の歴史観があり、共通の歴史認識は持ち得ないという論者がいる。これは国家主義に基づく視点であり、21世紀においては通用しない。ヨーロッパではすでに行われているように、東アジア共通の教科書編纂に向けて努力すべきだ。
中日両国の政治家は歴史認識問題を政治目的に利用すべきでない。日本の政治家は、靖国神社参拝などを行って隣国の国民感情を傷つけるようなことを厳に戒めるべきだ。また中国は歴史認識問題を大きく取り上げ、現実の両国関係を後退させるようなことがないよう注意すべきだ。とりわけ重要なことは、日本の右翼政治家の挑発に乗らないことである。中日両国の学者による歴史問題協議が始まった。共通認識に達するには、5年、10年、20年あるいは30年と長い期間がかかるかもしれない。しかし、話し合いが行われている限り、歴史認識問題の政治問題化は避けられるはずだ。そうした中で、歴史認識問題での相互理解増進と現実問題での相互理解増進は互いに促進しあう関係が形成されていくであろう。
2 尖閣列島問題。尖閣列島及び東海ガス田問題は、国家主権に関わる領土問題である。その上、豊富な海底資源問題に関わるため、直接、両国の利害関係にも及ぶ。したがって、この問題も国家間の国民的問題になりやすい。今、先鋭化している東海ガス田問題について言えば、中国側が主張する大陸棚延長線と日本側の主張する中間線が衝突し、まったく水平な大海原が、大陸棚延長線の外側(日本海域)、中間線の内側(中国海域)、両線の重複部分(係争海域)の三つに線引きされている。中国は尖閣列島を基線とした中間線を認めていないが、紛争を避けるため中国側海域で開発を行っている。ところが、日本は、係争海域を日本の海域と見なし、中国の開発ガス田が中間線に近いため、係争海域のガスが中国側に吸い取られるとして抗議している。「係争棚上げ」による共同開発が最も望ましいことでは一致しているが、主権問題が関わるため、共同開発の方法をめぐって意見が食い違っている。
中日平和条約の締結に当たって、鄧小平は尖閣列島問題で「係争棚上げ」を提起して、本格的解決は後世に残した。この「係争棚上げ」は二つの解釈ができる。一つは「係争問題棚上げ」で、もう一つは「主権問題棚上げ」である。筆者は後者を採用して、根本的解決を図るよう主張する。即ち、大陸棚延長線と中間線そのものをお互いに認めず、東アジア共同体の形成という視点から、共同開発を海域全体で進めるのである。ヨーロッパで作られ、そして世界に押し付けられた近代国際政治の主権絶対視ルールを、根本から覆すことである。つまり、19世紀、20世紀型国際政治から脱皮し、21世紀型国際政治を先取りして、世界に範を示すことである。北極の資源獲得を目指して行われている主権確立構想は余りにも見苦しい。中日両国によって示される範は現実的意義がある。
3 安全保障問題。日米安保条約は共産主義陣営、つまりソ連、中国、朝鮮に対するものであった。中ソ対立が激化し、中米、中日関係が改善した1970、80年代おいては、主としてソ連に対するものとなり、中日間の安全保障問題は淡白化した。ところが1990年代に入ると、ソ連が崩壊し、冷戦構造は終息した。世界は全く新しい平和の仕組みが構築されると期待されたが、米国は一極支配をより強固なものにするため、各地の軍事同盟を強化しようとした。日米軍事同盟は(が)改組されるどころか、より強化する策がとられることとなった。日本は台頭する中国をけん制するために、米国のこの動きに積極的に適応していった。強化された日米安保条約はますます中国に矛先が向けられるようになったため、中日間の安全保障問題が再浮上してきた。
ブッシュ政権になってから、米国では単独行動主義が取られるようになり、しかも中国を戦略的ライバルとみなすようになった。中国当局に大きなショックを受け、強化される日米軍事同盟を重く見て、自国の軍事力を強化すると共に、上海協力機構設立など反単独行動主義の国際的協力強化に乗り出した。ここ数年、米国のイラク侵攻に見られる力の政策は泥沼化し、単独行動主義の失敗はますます明らかとなり、米国はすでに国際協調への政策調整を行わざるを得なくなった。日本の米国追随政策は見直されようとしている。小沢一郎民主党代表のテロ特措法延期反対はその典型例である。今こそ、中米日の三者戦略対話を実現し、三カ国間の相互信頼を深め、日中間の軍事的猜疑心を抜本的に解消するよう努力すべきである。
4 台湾独立問題。「台湾は中国領土の一部分」、これは日本の侵略を受けた中国国民の絶対に譲れない立場である。それに対し、台湾は日本のシーレーンの生命線と位置づけ、大陸・台湾の統一を絶対に阻止しなくてはならないという勢力が、日本にはかなり根深く存在する。彼らは国民党時代には蒋介石政権を支えて統一を阻止し、民進党時代になってからは台湾の独立志向を陰に陽に支援する。そのため、中国は日本の台湾問題での曖昧な態度に極めて敏感である。米国の対台湾政策は現状維持ではっきりしているが、日本は不明朗で陰険であると考えている。
台湾問題の複雑さは、国民党の独裁支配と中国共産党の実質的独裁体制の弊害が影響して、台湾の一般住民ができたら独立したいという願望を持っていることである。こうした中で、どうやって台湾問題を平和的に解決したらよいのであろうか。胡錦濤政権になってから、統一を強調せず、独立阻止を突出させることとなった。それは「当面、現状維持」への政策調整である。こうして、米中間の台湾政策はより接近し、台湾海峡の平和が保たれる外部的環境は整ってきた。しかし、台湾内部の政争の必要性から、民進党政権は「国連加入の国民投票実施」など台湾独立の政策を放棄していない。これに対し、日本はどのような態度を取るかが問われている。曖昧な態度は許せなくなっており、大局的見地に立って、より鮮明な台湾独立不支持政策を示す必要がある。
5 日本の常任理事国入り問題。2004年から05年にかけて、日本は常任理事国入りを目指して、積極的に外交活動を展開した。しかしながら日本は、中国は本音では反対でも、国際的趨勢が定まれば拒否権を行使することはないであろうと見て、対中国根回しは殆ど行わなかった。小泉首相の靖国神社参拝問題で、中日関係がギクシャクしていたことも災いしている。中国当局は、当初、日本の常任理国入りは極めて困難で、中国が反対するまでもないと見ていた。ところが、日本が多数国獲得に乗り出してかなりの成果を上げるようになってから、中国世論の反日本感情もあり、中国当局はアジア、アフリカ諸国に対し本格的働きかけに乗り出した。こうして、日本の常任理事国入りは、米国の実質的反対もあって挫折を見ることとなった。これは一部日本国民の対中感情を悪化させる一要因となった。
日本の常任理事国入りについて、次の三つの理由によって、筆者は中国が反対すべきではないと考える。一つは戦後60年、日本は平和立国の道を歩み、発展途上国に巨額なODAを提供するなど国際貢献をしてきた。二つ目に中国の改革開放政策を支持し、資金や知的支援を提供した。三つ目にASEAN10+3非公式首脳会議で、東アジア共同体形成の目標が定められた以上、アジア唯一の先進国日本が中国と共に常任理事国となることは、アジアの発展にとって有利である。しかしながら、現在の日本は中国および韓国の信頼を得るに至っていない。したがって、次の三点をクリアする必要がある。歴史認識問題、台湾問題及び日米安保条約である。中日間の戦略的互恵関係が深まる中で、この三つの問題が解消していけば、中国は真に日本の常任理事国入りを支持するようになるであろう。
三 明るい中日関係の未来に向けて
小泉政権時代に悪化した中日関係が、昨年10月、安倍晋三首相の訪中によって好転に向かった。中日双方の理性的対応が主流となり、今後、これが後退することは考えにくく、再度極端に悪化することは先ずないであろう。しかし、中日関係は決して強固なものではなく、次の五方面で努力を重ねていかなくてはならない。
1 戦略的互恵関係の含意を充実させ、戦略的パートナー関係を樹立すること。中国は早くから中日間に戦略的友好関係を樹立しようとしていた。だが、日本は米国のような同盟国のみに「戦略的」という言葉が使えるとして拒絶してきた。安倍首相が中日共同プレス声明の中で「戦略的互恵関係」を謳ったことは画期的なことであった。しかし、それへの理解は必ずしも一致しておらず、その具体化を図ろうとすると困難に直面する。中国は戦略的な捉えで、中日両国の「平和友好の戦略的互恵関係」と理解するが、安倍首相は戦術的位置づけをするに過ぎず、「日本中心の戦略的互恵関係」と理解する。したがって、価値観外交を展開し、かなり露骨に中国をけん制するやりかたが、戦略的互恵関係と矛盾するとは考えないのである。
日本の政局は波乱含みとなっている。今後どのような政権が誕生するにしても、中日間の戦略的互恵関係の内容についてより深く話し合い、軍事外交にも及ぶ戦略的互恵関係を確立すべきである。それは国交正常化以来の国家間友好関係を継承し、新情勢に照らして発展させたものでなくてはならない。「友好」という言葉を避ける、断絶的な「戦略的互恵関係」であってはならない。
2 経済的文化的交流関係の発展を通して、軍事的政治的関係の深化を促すこと。現在、中日間の経済的依存関係は完全に切っても切れない関係にあり、経済面での戦略的互恵関係は誰の目にも分かるほどとなっている。それを更に巨大プロジエク協力事業に繋げ、戦略的経済協力関係を不動なものにしなくてはならない。例えば、ユーラシア大陸での鉄道ネットワークの建設、省エネ環境問題での長期協力計画の作成などが考えられる。
学術文化面での交流はすでにかなり深く行われている。しかし、西洋文明優位の状況下で、東洋独自の文明についての協力は限界的であった。西洋キリスト教文明及び近代科学技術文明は新しい困難に直面している。反面、東洋文明の特徴「調和と中庸」、「価値観の多様性容認」などは、日増しに世界から注目されるところとなっている。中国文明の影響を受けながらも、独自の文化を創造した日本と中国が連携する領域はますます拡大していこう。「脱亜入欧」の日本が、「欧亜結合」に向けて新たな発展を遂げる時代がやってきているのだ。
経済及び文化の面での中日両国間の交流強化によって、国民レベルの相互理解と相互信頼は深まり、それが両国の政治、外交、軍事面での相互信頼を促していくこと間違いない。
3 軍事安全保障問題での交流を強化し、東アジア安全保障体制の構築を目指すこと。
東アジア共同体の形成を目指すことになったことは、経済共同体をつくるばかりでなく、安全保障体制の構築も含まれる。現在ある二国間軍事同盟を破棄することは非現実的である。国家間の信頼関係がまだ十分には確立されていないからである。多国間安全保障体制を構築する中で、仮想敵国を前提とした二国間同盟を徐々に相対化していき、最終的には自然解消されていくことが望ましい。
朝鮮半島の平和をめぐっての六カ国協議が軌道に乗りつつある。参加国のすべてがこの枠組みの安全保障体制化を支持していて、今年2月、「北東アジアの平和・安全メカニズム」作業部会が設置され、ロシアが担当することとなった。もしこのメカニズムが形成されていけば、それは必然的にASEAN地域フォーラムに影響を与え、東アジア全体の安全保障体制構築に繋がっていく。
イラク問題でのこの五年間の展開は、唯一の軍事超大国アメリカであっても、単独では世界の安全保障を確保することができないことを立証した。各地域の安全保障は、国連の指導の下に各地域に任せ、米国はより高いところに立って調停役を勤めることが望ましい。中国も日本もそれを受け入れ、東アジアの恒久的安全保障体制を構築すべきである。
4 新東アジアモデルを構築し、南北格差の縮小に努めること。日本は戦後、一国範囲内での東アジアモデルを構築した。それは政府の役割と市場の原理を有機的に結びつけたものである。それにより、経済の高度成長を成し遂げたばかりでなく、市場原理につき物の二極分化を避けることができた。それはアジアNIES (韓国、台湾、香港、シンガポール)に応用され、中国もベトナムも基本的にこのモデルを採用した。こうして東アジアは調和の取れた高度成長を成し遂げることができた。
しかし、1990年代後半に入ってからは、前述した如く、新自由主義が世界的に跋扈し、日本も中国もその影響を受け、東アジアモデルは省みられなくなった。日本は日本式モデルの高度化、一国範囲内東アジアモデルの国際化を怠り、アメリカナイズに走ってしまった。中国もまた然りである。今、日本も中国もその反省をしており、両国は手を携えて、経済のグローバル化に対応できる東アジアモデルを構築すべきである。それは国際協調主導型市場経済とも言うべきものである。このモデルの下で、東アジアの南北格差は縮小し、世界的に評価されることとなろう。そして、東アジアモデルはグローバルモデルとなり、エイシアンスタンダードはグローバルスタンダードとなる。
5 民主社会主義と社会民主主義の収斂化という点で共通認識を持つこと。中国は共産党の指導の下、社会主義が堅持されている。日本は資本主義の国であり、中日両国には体制の違いという大きな障害があるというのが一般的見方である。しかし両国の実態を見てみると、日本には社会主義的要素がたいへん多く、実態は社会民主主義に近づいている。他方、中国は専制的社会主義から市場原理を取り入れた民主社会主義に移行しつつある。社会民主主義と民主社会主義は区別しにくいが、筆者は資本主義国が社会主義的要素を取り入れていくプロセスを社会民主主義、専制的社会主義国が平和的に民主社会主義に移行していくプロセスを民主社会主義と定義付ける。つまり社会民主主義と民主社会主義の実質は変わらないが、プロセスに違いがあり、将来的には収斂していくとみるのである。
資本主義か社会主義かの問題提起は古臭いという見方もあるが、世界的に最も広く通用している言葉として、それを使用する価値は決して下がっていないと考える。中日両国において、以上のような共通認識が得られれば、中日両国の信頼関係は大幅に増進され、中日関係は大いなる発展を見ることとなる。
結び
中日関係の真の改善を図るには、長期的視点に立って、懸案問題に対して冷静且つ理性的に対応する必要がある。中日双方の有識者は自国の狭隘なナショナリズムを抑制し、常に先方の国民感情に配慮しなくてはならない。同時に、東アジア全体、引いては世界全体の視点から中日関係を考え、戦略的互恵関係を進めるべきだ。21世紀において、東アジア及び世界の「南北格差縮小」・「平和と繁栄」の実現を目指して、中日両国は密接な協力関係を結ぶことができる。短期的にはいろいろ問題が起こるであろうが、中長期的には前途は極めて明るい。
2007年9月9日

コメントする